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戦艦武蔵の最期「魚雷20本」は誰が数えたのか? 艦長の手帳には「5本確実」

午後三時のまんが1,683回視聴投稿日: 2026/11/06
戦艦武蔵「魚雷20本」は誰が数えたのか──昭和19年(1944年)10月24日、午後6時半ごろ。フィリピンのシブヤン海で、左に傾いた武蔵の上、艦長の猪口敏平少将は手帳に鉛筆で、命中した魚雷の数を書きつけました。「確実に5本以上、見込みで7本」。ところがいま、武蔵は「魚雷20本、爆弾17発」に耐えた、と語られています。5本から7本と、20本。この差は、どこから来たのでしょうか。 20本という数は、誰が、いつ、どうやって数えたのか。武蔵自身の戦闘詳報、宇垣纒の陣中日誌『戦藻録』、副長だった加藤憲吉大佐の戦後の答え、そしてアメリカ海軍の技術調査団の報告書を、一つずつ開いて並べて読みました。小説『戦艦武蔵』が艦長の遺書から本数を削った理由も、作家自身の文章でたどります。 ▶ 関連する史料室の記録 ・四式戦闘機 疾風(第2回) (URLは公開後に追記) ・紫電改(第4回) (URLは公開後に追記) 【この動画の作り方】 ナレーションは、当史料室が日米双方の記録と研究書をもとに書き下ろした原稿です。英文資料の引用は当史料室による和訳(一部表現を省略)です。画像は米国の公文書・写真などパブリックドメインの資料、当時の日本海軍の写真のうちパブリックドメインとして公開されているもの、当史料室で作図した図です。サムネイルは、1944年に日本海軍の士官が撮影した武蔵の実在の写真をもとに、AIで色を付け、修復して作りました。画面に映る記録映像は、アメリカ海軍が1944年10月に撮影した空母機の映像で、武蔵そのものの映像ではありません。日本側の戦闘詳報や『戦藻録』、書籍など著作権のある資料や閲覧に制限のある資料は、短い引用と翻刻(文字の書き起こし)で紹介しています。 【チャプター】 0:00 オープニング 1:24 第一章 記録係のいない艦橋 1944年10月24日 2:07 朝からの攻撃 3:00 最後の攻撃 3:52 夜の手帳 5:10 第二章 副長の報告 1944年11月 5:44 宇垣纒の日誌 6:51 戦闘詳報 8:11 副長のまとめた数 8:59 第三章 アメリカの調査官 1945年10月 – 1946年1月 9:37 技術調査団 10:21 二冊の手帳 11:23 傾きで数える 12:39 爆弾は合い、魚雷は合わない 12:49 調査の限界 13:39 第四章 削られた一行・1950 – 1970 14:01 至当な数字 14:53 吉村昭の『戦艦武蔵』 16:13 生き残った人たちの数 17:07 第五章 通説を確かめる 18:06 三つの数え方 18:34 艦長の5本 18:57 判定 19:58 手帳のゆくえ 20:19 海の底の武蔵 20:48 鉛筆の数 【参考文献】 • 『昭和19年10月24日 軍艦武蔵戦闘詳報』:アジア歴史資料センター Ref.C08030565200(防衛省防衛研究所)。画面の文書は翻刻です • 『戦闘詳報.第1遊撃部隊 捷号作戦(菲島沖海戦を含む)』:アジア歴史資料センター Ref.C08030714600、C08030714700(防衛省防衛研究所)。画面の文書は翻刻です • 『捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)』(第一戦隊):アジア歴史資料センター Ref.C08030036900、C08030037000(防衛省防衛研究所)。画面の文書は翻刻です • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書56 海軍捷号作戦〈2〉フィリピン沖海戦』朝雲新聞社(1972年)181、196〜199ページ:猪口艦長の遺書、人員表。防衛研究所 戦史研究センター 戦史叢書閲覧 • 宇垣纒『戦藻録』後篇、日本出版協同(1953年)/原書房(1968年):国立国会図書館デジタルコレクション • U.S. Naval Technical Mission to Japan, Report S-06-2 "Reports of Damage to Japanese Warships – Article 2"(1946年1月、E.C. Holtzworth中佐)、Report S-06-3 "Article 3 – Japanese Records of Major Warship Losses"(1946年1月):米海軍 • U.S. Strategic Bombing Survey, Interrogations of Japanese Officials, Nav No.83 加藤憲吉(1945年11月13〜14日、東京):HathiTrust https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp... 。画面の文書は翻刻です • U.S.S. Intrepid (CV-11) Action Report, 10–31 October 1944/U.S.S. Cabot (CVL-28) Action Report:アメリカ国立公文書館(NAID 78655720、78659280) • Samuel E. Morison, "History of United States Naval Operations in World War II, Vol. XII: Leyte, June 1944–January 1945", Little, Brown(1958年)186ページ • 松本喜太郎「戦艦大和」『自然』5巻2号(1950年2月):国立国会図書館デジタルコレクションの本文抜粋で確認 • 『丸』11巻10号(1958年7月)、17巻2号(1964年2月)、潮書房 • 吉村昭『戦艦武蔵』新潮社(1966年)/『戦艦武蔵ノート』図書出版社(1970年) • 読売新聞社編『昭和史の天皇』12、読売新聞社(1970年):加藤憲吉の談話 • 細谷四郎『戦艦武蔵戦闘航海記』八重岳書房(1988年) • 豊田穣『戦艦武蔵レイテに死す』講談社(1983年) • 『戦艦武蔵建造記録』刊行委員会編『戦艦武蔵建造記録 大和型戦艦の全貌』アテネ書房(1994年) • NPR(2015年3月4日)、AP通信(2015年3月12日):武蔵の船体発見の報道 【画像出典】 • 攻撃を受ける武蔵・大和型戦艦の写真(NH 63432、80-G-281764、80-G-281766、80-G-272550、80-G-325952、S-475.09、S-475.13)、ブルネイの日本艦隊(NH 63435、NH 73090)、アメリカ海軍機の写真(SB2Cヘルダイバー、TBFアヴェンジャー、トラックでの魚雷命中)、コレヒドール島の写真、モリソンの肖像:米海軍/米国立公文書館(NARA)/米海軍歴史遺産コマンド(NHHC)/パブリックドメイン(米国政府の著作物) • 米海軍技術調査団の報告書(S-06-2、S-06-3)の頁、イントレピッド・キャボットの戦闘報告書の頁:米海軍/アメリカ国立公文書館、パブリックドメイン • 沈みゆく武蔵、ブルネイを出る武蔵(白石東平中尉撮影):NHHC所蔵、Wikimedia Commons(パブリックドメイン) • 公試中・航行中の武蔵、武蔵の艦橋と艦首甲板、武蔵艦上(1943年6月)、猪口敏平、宇垣纒、栗田健男、小柳冨次の肖像:撮影者不明の戦前・戦時中の写真。Wikimedia Commons でパブリックドメインとして登録されているものを使用 • トラック泊地の大和と武蔵(1943年):神田武夫撮影、Wikimedia Commons(パブリックドメイン) • 記録映像:アメリカ国立公文書館 428-NPC-5871 ほか(米海軍撮影の記録映像、パブリックドメイン。武蔵そのものの映像ではありません) • 写真はいずれも動画内でトリミング・拡大しています #戦艦武蔵 #シブヤン海 #歴史解説

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