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【家系図で見る】織田家はその後どうなった?|「暗愚」と呼ばれた次男の家が明治まで残った

日本史読解室20,553回視聴投稿日: 2026/10/18
天正10年6月2日、本能寺の変。織田家は一日で、信長と、家督を継いでいた信忠を同時に失いました。 跡継ぎとされた数え3歳の三法師(織田秀信)は、18年後の関ヶ原の年に岐阜城を失い、数え26歳で世を去ります。三男・信孝は秀吉に敗れて自害。一方、のちに「暗愚」とまで言われた次男・信雄の家は、天童藩と柏原藩として明治まで続きました。「逃げた」と笑われた弟・有楽斎は国宝の茶室・如庵を残し、その子たちの家も大名として残ります。 娘たちの嫁ぎ先、妹お市の血筋から生まれた明正天皇、天童の将棋の駒、そして現代まで。天下人の家のその後を、家系図と地図でたどります。史料で言えることと、後の世の言い伝え(三法師を抱く秀吉、信孝の辞世、有楽斎の落首、有楽町の由来など)は分けてお話しします。 ▼この動画でわかること ・本能寺の変の日に、当主の信忠まで失った織田家 ・清洲会議と三法師:「秀吉が三法師を抱いた」話の出どころ ・三男・信孝の最期と、有名な辞世の確かさ ・「暗愚」と呼ばれた次男・信雄が、改易から5万石の大名に戻るまで ・三法師(織田秀信)の関ヶ原:岐阜城の落城と高野山 ・信長の弟・有楽斎:落首、関ヶ原、大坂の陣、国宝の茶室・如庵、有楽町の由来説 ・信長の娘たちの嫁ぎ先と、細川家へ入った信長の血 ・お市→江→和子→明正天皇(信長の姪の孫) ・江戸時代の織田家:天童藩(明和事件・将棋の駒・戊辰戦争)、柏原藩(宇陀崩れ)、芝村藩・柳本藩 ・明治の子爵と、現代に「子孫とされる」人々 ▼チャプター 0:00 オープニング 1:43 第1章 一日で失った二人の当主 2:51 第2章 清洲会議と三法師 4:12 第3章 信孝の最期 6:01 第4章 「暗愚」と呼ばれた次男 8:41 第5章 三法師の関ヶ原 10:36 第6章 「逃げた」弟、有楽斎 12:52 第7章 嫁いだ娘たち 15:29 第8章 小さな大名として 19:26 第9章 明治、そして今 21:00 第10章 なぜ運命は分かれたのか 22:08 エンディング ▼ご注意 ・年月日は当時の暦(和暦)の月日です。年齢は数え年です。 ・石高・子どもの数は資料によって差があります(信長の息子は通常11人、娘は養女・異名があり数え方が分かれます)。 ・肖像画には、本人が亡くなったあとに描かれたものや、後世の挿絵もあります。 ・現代の方の家系については、ご本人の話や報道の範囲でご紹介しています(「子孫とされる」)。 ・一部の映像は、当時の雰囲気を伝えるために制作したイメージ映像です。 ・大河ドラマとは関係のない、独自の解説です(ドラマの映像・音楽は使っていません)。 ▼おもな参考資料 ・太田牛一『信長公記』、『多聞院日記』、『川角太閤記』、『義残後覚』(『続史籍集覧』) ・『寛政重修諸家譜』(國民圖書版、国立国会図書館デジタルコレクション)、『徳川実紀』、『官報』明治17年7月9日 ・柴裕之『清須会議』(戎光祥出版、2018年)と著者インタビュー、和田裕弘『織田信忠』(中公新書、2019年) ・山本浩樹「関ヶ原合戦と美濃・尾張」(岐阜関ヶ原古戦場記念館、2024年)、山田昭彦「濃州関ヶ原合戦と犬山城」(岐阜県博物館、2021年) ・服部英雄「フロイス『日本史』80章:松田毅一・川崎桃太翻訳の検証」 ・岐阜市・岐阜県歴史資料館、橋本市教育委員会(織田秀信)、宇陀市・甘楽町(織田信雄) ・天童市・天童織田の里歴史館・高畠町(天童藩、将棋の駒、吉田大八) ・丹波市(柏原藩陣屋跡)、桜井市・天理市教育委員会・奈良県(芝村藩・柳本藩) ・文化庁 国指定文化財等データベース・犬山市(如庵)、サントリー美術館・京都文化博物館(織田有楽斎展) ・国立公文書館、八代市立博物館、永青文庫(五徳の娘たちと細川家)、江戸東京博物館、長浜城歴史博物館(江と東福門院) ・二本松市、石川県(丹羽家・前田家) ▼絵・写真のクレジット ・関ヶ原合戦図屏風(関ケ原町本、1854年の模写、パブリックドメイン) ・関ヶ原合戦図屏風(岐阜市歴史博物館、パブリックドメイン) ・豊臣秀吉像(狩野光信筆、高台寺、パブリックドメイン) ・伝 淀殿像(奈良県立美術館、パブリックドメイン) ・織田信長像(狩野永徳筆、大徳寺、パブリックドメイン) ・織田信長像(狩野宗秀筆、長興寺本、東京大学史料編纂所の画像、パブリックドメイン) ・織田信忠像(総見寺、パブリックドメイン) ・織田信雄像(総見寺、パブリックドメイン) ・神戸信孝(『続英雄百人一首』の挿絵、後世の図、パブリックドメイン) ・織田秀信像(模本、原本は来迎寺、東京大学史料編纂所、パブリックドメイン) ・織田長益(有楽斎)像(正伝永源院、パブリックドメイン) ・織田信包像(正伝永源院、パブリックドメイン) ・お市の方像(高野山持明院、パブリックドメイン) ・崇源院(江)像(養源院、パブリックドメイン) ・東福門院和子像(光雲寺、パブリックドメイン) ・柴田勝家像(個人蔵、パブリックドメイン) ・松平信康像(勝蓮寺、パブリックドメイン) ・真書太閤記 本能寺焼討之図(楊斎延一、明治の錦絵、パブリックドメイン) ・賤ヶ岳合戦図屏風(長浜市長浜城歴史博物館、パブリックドメイン) ・秀吉が三法師を抱く図(『絵本太閤記』の挿絵、後世の図、パブリックドメイン) ・小牧長久手合戦図屏風(豊田市郷土資料館、パブリックドメイン) ・近江国蒲生郡安土城之図(後世の図、パブリックドメイン) 写真(Wikimedia Commons): ・foooomio from Tokyo, Japan(CC BY 2.0) ・mariemon(CC BY 3.0) ・Bariston、Alpsdake、Qurren、Rsa(CC BY-SA 3.0) ・Bariston、663highland、Asturio Cantabrio、うなぎや、Suikotei、杉山宣嗣(CC BY-SA 4.0) ・Drivephotographer、Brakeet、Saigen Jiro(CC0) (動画の中で拡大・トリミング・ぼかしを加えて使っています) 地図:Natural Earth(パブリックドメイン)をもとに作成 #織田信長 #織田家 #日本史 #家系図 #本能寺の変 #戦国時代

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