豊臣秀長はなぜ「豊臣家の柱」だったのか|兄・秀吉を支えた52年を一本でたどる【ひとすじ日本史】
1591年1月、大和郡山。天下人・豊臣秀吉の弟、秀長が52歳で亡くなります。この年から、豊臣家の歯車は狂い始めました。
「秀長が生きていれば、豊臣家はこうはならなかった」とよく言われます。本当にそうなのか。だとしたら、なぜなのか。
戦・お金・取り次ぎの三つを目印に、尾張中村の農家の次男坊が、兄を支えて大和大納言になるまでの52年を一本の話としてたどります。
■ 目次
0:00 はじめに
1:47 尾張中村の兄弟
4:06 兄に呼ばれる
7:18 長浜の留守番
9:39 但馬を任される
14:47 本能寺と大返し
18:56 賤ヶ岳と小牧
23:18 四国の総大将
27:12 家康を迎える
33:58 九州へ
38:46 大和大納言
42:43 病の床
45:44 秀長のいない豊臣家
51:51 なぜ崩れ始めたのか
■ この動画について
・各章の最後に「よく聞くけど、本当かどうかはっきりしない話」をまとめています(墨俣の一夜城、金ヶ崎のしんがり、天王山、七本槍、陣羽織、大政所の薪、百万石、利休の切腹など)。
・年は西暦、年齢は数え年です。年代や数字には諸説あるものがあり、動画では一般的な説や、よく知られた言い伝えも紹介しています。
・地図の位置や道すじは、おおよその図です。
・場面のイラストは画像生成AIで作成したもので、当時の姿を正確に再現したものではありません。
・ナレーションは音声合成(AivisSpeech)を使っています。
・誤りに気づかれた方は、コメントで教えていただけると助かります。
■ 主な参考資料
『日本大百科全書』『世界大百科事典』などの事典類(コトバンク)、『多聞院日記』の紹介、大和郡山市・和歌山市・朝来市の資料ほか
■ 地図
出典:国土地理院(地理院タイル 淡色地図・陰影起伏図)を加工して作成
■ BGM
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「縁側」「流るる時」siroimu/「金木犀」はつか/「大河」伊藤ケイスケ
#日本史 #豊臣秀長 #豊臣兄弟
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