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秀吉の妻・寧々(ねね)のその後。夫の死後26年、豊臣家の滅亡を見届けて京都・高台寺に眠る【豊臣兄弟!】

史実のつづき31回視聴投稿日: 2026/11/07
寧々(ねね・北政所・高台院)は、秀吉が亡くなったあと、26年を生きました。 大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、いつも秀吉のそばにいる寧々。夫を失ったあとの寧々には、おかしなところが3つあります。秀吉の死から約1年で大坂城を出て、そのあとの西の丸に家康が入ったこと。関ヶ原で家康の味方だったと言われてきたのに、戦いの2日後に天皇の母の御所へ避難したという記録があること。そして、豊臣家を滅ぼした家康の援助で建てた寺、京都の高台寺に眠っていること。 この動画では、醍醐の花見と秀吉の死、大坂城を出た理由、関ヶ原と大津城、出家と高台寺、二条城の会見、大坂の陣、豊国社の取り壊し、甥たちのその後、そして寛永元年の最期までを、記録で追います。 11月8日の第43回の前に、天下人の妻の26年を知っておきたい方へ。 ・歴史上の月日は旧暦、年齢は数え年です。寧々の生まれた年には諸説あり、亡くなった年齢は76歳・77歳などの説があります。 ・「〜と伝わる」「〜という見方もある」とお話ししている部分(わらの上の祝言、清正・正則を世話した話、醍醐の花見の盃争い、大津城の開城交渉への孝蔵主の関わり、高台寺の普請への家康の援助、木下利房の警護、豊国社の社殿、高台寺の茶室の由来など)は、後の時代の書物・寺伝・研究者の紹介によるもので、同じ時代の史料で細部まで確かめられていない物を含みます。寧々が大坂城を出た理由、関ヶ原での立場、晩年の住まい(高台寺のそば/京都新城)には、研究によって違う見方があります。 ・主な参考:コトバンク「高台院」「小早川秀秋」「木下利房」「木下長嘯子」、国立国会図書館レファレンス協同データベース(寧々の生年、千姫の助命嘆願)、国立公文書館(徳川家康の年表・方広寺の鐘銘)、京都市・高台寺・圓徳院・醍醐寺・豊国神社の案内、大阪城天守閣の展示解説、河内将芳・跡部信・呉座勇一ほか研究者の論考・著書の紹介。 ・ナレーションは合成音声です。読み間違いや誤りにお気づきの方は、コメントで教えてください。 ▼目次 0:00 寧々の26年 1:14 子のいない北政所 3:43 伏見の8月 5:24 大坂城を出る 7:42 関ヶ原の寧々 10:44 高台院 12:42 二条城の春 14:01 大坂の陣 16:17 残された9年 18:31 3つの答え 【資料画像の出典】 ・大坂夏の陣図屏風(大阪城天守閣蔵) ・以上は Wikimedia Commons から取った著作権の切れた作品です。 【音楽】 千歳の如く(作曲:すもち)/OpenTracks(https://opentracks.com/bgm/detail/13294) 【ナレーション】 ElevenLabs による合成音声 #寧々 #豊臣兄弟 #北政所 #高台院 #日本史

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