一式戦「隼」はなぜP-40の強敵だったのか?「12機撃墜」申告と実際の損失
一式戦「隼」はなぜP-40の強敵だったのか?「12機撃墜」申告と実際の損失
中島の一式戦闘機「隼」、Ki-43-IはなぜカーチスP-40の手強い相手となったのか。
1941年12月のラングーンから、1942年4月8日・10日の中国領雷允飛行場での戦闘へ。AVGの撃墜申告と日本側の損失を切り分け、戦場の状況を追います。
1943年、オーストラリアのTAIUが修復した機体の写真も参照。Ki-43-IbのXJ002と別のKi-43-IIを区別し、通称OscarとCBI方面でのJim、そして零戦との誤認を整理します。
※本編で扱う撃墜申告12機と日本側損失4機は、1942年4月8日の雷允空戦について公刊の戦闘再構成が示す数字です。試験飛行の写真から未公開の比較性能値を推測していません。
参考資料:
Smithsonian Institution, Nakajima Ki-43-IIb Hayabusa — https://www.si.edu/object/nasm_A19600...
Pacific Wrecks, April 8 / April 10, 1942 — https://pacificwrecks.com/date/1942/0... / https://pacificwrecks.com/date/1942/0...
防衛省防衛研究所、加藤建夫 — https://www.nids.mod.go.jp/military_a...
Australian War Memorial, P01097.013 / .022 / .031 — https://www.awm.gov.au/collection/C19... / https://www.awm.gov.au/collection/C19... / https://www.awm.gov.au/collection/C19...
写真は場面により資料写真を使用し、必ずしも当日の戦闘を写すものではありません。
皆さんは、戦果申告と相手側の損失記録の差を、どのように読みますか。資料に基づくご意見をお寄せください。
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