「すべて高貴なものは、まれであるとともに困難である」|『エチカ』の哲学者スピノザ、追放と孤独の生涯
スピノザの生涯|23歳で共同体から最も重い破門を受け、家族も仕事も居場所も失った哲学者は、なぜ世界を恨まず「理解する」ことを選んだのか。眠る前に、静かな声で聴く約55分の伝記です。
1632年、アムステルダムのポルトガル系ユダヤ人商人の家に生まれたバールーフ・デ・スピノザ。母と兄姉を次々に失い、英蘭戦争で傾いた家業と父の負債を21歳で背負います。1656年、23歳で共同体から「昼も呪われよ、夜も呪われよ」という破門を宣告され、街を去りました。
その後はレンズを磨いて暮らしを立てながら、レインスブルフ、フォールブルフ、ハーグの屋根裏で書き続けます。1670年、『神学・政治論』を偽の出版地で匿名に出しますが、すぐに著者は見破られました。1672年、後ろ盾だったデ・ウィット兄弟がハーグで群衆に殺されると、彼は「最低の野蛮人ども」と書いた貼り紙を手に出て行こうとして、家主に止められます。翌年にはハイデルベルク大学からの教授職の誘いを、哲学する自由のために断りました。
完成した『エチカ』は出版を見送って引き出しにしまい、1677年2月、44歳で亡くなります。すべてを失った一人の人間が、それでも静かに尊厳を守り抜いた生涯です。
■ 動画に出てくるスピノザの言葉
・経験が私に教えたところによれば、日常の生活において普通に生じるすべての事柄は、空しく無意味である(『知性改善論』)
・私は、人間の行為や欲望について、あたかも線や面や立体を扱うかのように論じるつもりである(『エチカ』第3部 序文)
・群衆は恐れることがなければ、恐るべきものとなる(『エチカ』第4部)
・神を正しく愛する者は、神が自分を愛し返してくれることを求めることはできない(『エチカ』第5部)
・だが、すべて高貴なものは、まれであるとともに困難である(『エチカ』第5部 最後の一文)
■ 主な参考文献
・スピノザ『エチカ』『神学・政治論』『国家論』『知性改善論』(畠中尚志 訳、岩波文庫)
・『スピノザ往復書簡集』(畠中尚志 訳、岩波文庫)
・コレルス『スピノザの生涯』(1705年)
・Steven Nadler, Spinoza: A Life(Cambridge University Press)
・上野修『スピノザの世界』(講談社現代新書)
・國分功一郎『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)
※画像はすべて生成画像によるイメージです。実在の絵画・写真ではありません。
※破門の直前に刃物で襲われたという話、裂かれたマントを生涯手元に置いたという話は、後世の伝記に残る言い伝えです。死因の肺の病も、ガラスの粉との関係を含めて確定していません。会話の一部は史料をもとにした語りの再構成を含みます。
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00:00 静かな部屋と、小さな道具
00:55 運河の街と、祖先の祈り
05:43 父の負債と、新しい言葉
10:42 追放の記録と、裂かれたマント
15:57 平らなガラスと、曲がる光
21:18 幾何学の秩序と、友への手紙
26:33 仮面の書物――『神学・政治論』の出版
31:14 血に染まる夏――「最低の野蛮人ども」
36:08 拒絶された講壇と、ハーグの屋根裏
41:02 引き出しの中の幾何学――『エチカ』の完成と封印
46:18 静かな日曜日と、散った粉塵
50:58 困難で、まれなもの
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