なぜ私たちは「反省」まで求めるのか?|フーコー『監獄の誕生』①
「でも、反省しているように見えない」
仕事でミスをして謝り、同じことが起きないように手順も変えた。それでもこう言われたら、次に何を変えますか。仕事のやり方でしょうか。それとも、声の調子や、目線や、表情でしょうか。
ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を読む全7回シリーズ。第1回は、第一部「身体刑」から始めます。なぜ本の冒頭で、公開処刑の記録のすぐあとに、少年収容施設の時間割が出てくるのでしょうか。
後半では、架空の職場で起きた同じミスを、二通りの記録に書き換えます。行動についての記述が人物についての評価になるとき、その人への接し方はどう変わるのか。そこから、冒頭の「反省しているように見えない」という言葉をもう一度考えます。
あなたが「ちゃんと反省してほしい」と思うとき、何が変われば、それを認められるでしょうか。よければコメントで聞かせてください。
次回|人道的な刑罰を求めたのに、なぜ監獄が広がったのか?
■ 文章で読みたい方へ
■ 紹介した本
ミシェル・フーコー『新訳版 監獄の誕生─監視と処罰─』慎改康之訳、新潮社
[新潮社の書誌・目次](https://www.shinchosha.co.jp/book/506...)
ひとつの断片から、世界を問う。
fragments
#フーコー #監獄の誕生 #現代思想
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