【稲盛和夫氏死去】「逆境の時代だからこそ、夢と感謝を忘れずに」 稲盛さんがふるさと鹿児島に残したメッセージ(2022.8.31)
亡くなった稲盛和夫さんがふるさと、鹿児島の私たちに向けてどんな言葉を残したのか、10年前、2012年にインタビューした映像から稲盛さんの思いをたどります。
京セラ 稲盛和夫 名誉会長(当時80歳)
「(子供のころ)しょっちゅう、城山から桜島を望んでいました。今でも思いますね」
故郷・鹿児島に思いを寄せる稲盛和夫さん。
京セラやKDDIなど、数々の企業を立ち上げては、その高い経営手腕で成功に導いてきました。
日本を代表するリーダー、稲盛さんの人生は実は挫折の連続でした。
結核に苦しんだ幼少時代。2度にわたる受験失敗。
その後、鹿児島大学の工学部を卒業し、やっとの思いで就職した京都の会社は、倒産寸前。
何度も何度も心が折れそうになったといいます。
しかし、そんな稲盛さんを支え続けたのは『夢』でした。
京セラ 稲盛和夫 名誉会長(当時80歳)
「ちょうど戦争が終わって、鹿児島市内が空襲で焼け野原になりまして、私の家も焼け野原になりました。大変貧乏したので『成長したら、何とか苦労した両親のためにも親孝行したい、少しでも喜んでもらいたい』それが大きな私の夢でした」
稲盛さんが口にした「大きな夢」。それは、両親を喜ばせることでした。
その後、稲盛さんは仲間8人で一つの会社を作ります。
それが今の「京セラ」です。
この小さな小さな町工場で技術者だった稲盛さんは、陶磁器のセラミックスの開発に没頭しました。
オイルショックに不況ー
さまざまな困難が立ちはだかりますが、稲盛さんは社員全員で目の前の仕事に向き合いました。
仕事が終わると、仲間と酒ー
「コンパ」と称されたこの酒席で、夜が明けるまで、将来の夢を語りあったといいます。
『世界一の会社にしよう』
やがて、その努力は実を結ぶことになります。
テレビの部品に医療器具、そして携帯電話に太陽光パネル。
人々の暮らしを豊かにする製品を次々と生み出し、小さな町工場はやがて7万人を超える企業に成長していました。
逆境を乗り越えながら、時代を切り拓いてきた稲盛さん。
閉塞感漂う今の時代を生きる人々へ、こう投げかけます。
京セラ 稲盛和夫 名誉会長(当時80歳)
「まず最初にやっぱり、感謝をすると言いますか。『うまくいっていない者が不平不満、愚痴をこぼす』それはますます自分がみじめになる元だと思いますので、愚痴も不平不満を言わないで、どんな逆境にあろうとも、どんな境遇であろうとも、周囲の人に、すべてのものに感謝の心を持って生きていけば、みんなから支援を受ける人間になれるのではないかと思っています」
逆境の時代だからこそ『夢』と『感謝』を忘れずにー。
稲盛さんが故郷、鹿児島に残した言葉には、苦難の人生を真摯に這い上がってきたトップリーダーの、やさしい思いが満ちあふれていました。
#鹿児島 #京セラ #稲盛和夫 #KDDI #鹿児島県
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