鍋島直茂の勢力図|龍造寺の国は、なぜ主君の家を倒す戦もないまま、家臣だった鍋島の国になったのか【龍造寺家兼・隆信から佐賀藩まで 1530〜1618】
鍋島直茂と龍造寺隆信の勢力図。龍造寺の国は、なぜ主君の家を倒す戦もないまま、家臣だった鍋島の国になったのか。
1607年、佐賀の郡の色は一つも動かないまま、家の名の札だけが龍造寺から鍋島へ。隆信の曽祖父・家兼から佐賀藩まで、龍造寺を支えた鍋島直茂の一生を、戦国時代の地図で郡ごとに追います。
■ この動画でわかること
・隆信の曽祖父・龍造寺家兼と、すぐ隣の本庄にあった鍋島の家。二つの家は、どう結びついていたのか
・今山の戦いは本当に夜襲だったのか。隆信は「五州二島の太守」だったのか。当時の文書と江戸時代の記録、九州三国志の耳川の戦いのあと筑後・肥後へ広がった龍造寺の地図
・沖田畷の戦いで隆信が討たれたあと、政家と一族は鍋島直茂に何を任せたのか(誓いの文書・家の切り盛り)
・豊臣秀吉は、家臣の直茂に何を直接与えたのか。5歳の当主・藤八郎(高房)あての朱印状の中の、知行の数字
・関ヶ原の戦いで西軍に付いた鍋島勝茂は、どうやって家を守ったのか。1604年に固まったと見られる幕府の方針と、1607年の高房の死
・龍造寺はそのあとどうなったのか。佐賀藩の中の龍造寺四家、伯庵の訴え、化け猫騒動はどこまで本当か
■ 目次
00:00 序章 名前だけが替わった国|鍋島直茂・龍造寺隆信・鍋島勝茂
02:01 第1章 二つの家|龍造寺家兼・水ヶ江城・本庄・馬場頼周・少弐冬尚
09:03 第2章 隆信と直茂|龍造寺隆信・慶誾尼・龍造寺鑑兼・少弐冬尚・大友宗麟
15:13 第3章 今山|今山の戦い・大友八郎・成松信勝・杏葉
21:10 第4章 肥前の外へ|須古城・大村純忠・耳川の戦い・柳川城・蒲池鎮並・五州二島
30:21 第5章 沖田畷|沖田畷の戦い・島津家久・有馬鎮貴・龍造寺政家
35:26 第6章 任された直茂|起請文・家裁判・九州平定・豊臣秀吉・長崎・龍造寺高房
44:02 第7章 名は龍造寺|朝鮮出兵・関ヶ原の戦い・柳川攻め・立花宗茂・徳川家康・鍋島勝茂
52:43 第8章 その後|佐賀藩・龍造寺四家・龍造寺伯庵・化け猫騒動・葉隠
■ 地図の見方
朱=龍造寺(1607年から鍋島)(濃い朱=直接治める土地 薄い朱=従う領主の土地 斜線=取り合い中)
龍造寺が従った・結んだ家(少弐・大内・大友・毛利・島津・豊臣・徳川)は、線と札で示しています(龍造寺の土地は朱のまま)
ほかの家はその家の色(大友・島津・大内・毛利・羽柴/豊臣・小早川・徳川ほか)。どの大名にも付かない土地=薄い墨(国衆)
右上の数字=石高(米のとれ高)の目安。どの年も、のちの帳面の郡ごとの数字で比べています
もし、よその人に「龍造寺の領地が、なぜ鍋島の領地になったのか」と聞かれたら、あなたならどう答えますか? 解説してほしい家や武将、合戦も、コメントで教えてください。
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■ 地図と数字について
・年は和暦の年の西暦、月日は和暦(年の暮れの月日には西暦で翌年にあたるものがある)。季節は旧暦、年齢は数え
・右上の石高は1598年の検地高を郡の比で按分した目安(斜線の郡も含む)で、佐賀藩の35万7千石とは物差しが違う。郡は1920年の郡境の近似(三養基郡は3つに分けて塗った)。1530〜50年代の龍造寺は佐賀郡の中の家の一つで、郡で塗ると広く見える
・龍造寺や若い頃の直茂の話の多くは、江戸時代に佐賀藩がまとめた書物による
・1590年の知行の数字は鍋島報效会(徴古館)の解説、1604年の幕府の方針の見方は及川亘氏の論文(2026)による
・人物の名札はその年の名(鍋島信昌・信生=のちの直茂、龍造寺藤八郎=のちの高房、1600〜1610年の勝茂は官途の信濃守)。鍋島の杏葉は当時の形が大友と同じで、今の形は17世紀後半からのため描いていない
・龍造寺の家督は、1590年の朱印状の写しの宛名では藤八郎(高房)。鍋島家が幕府に出した系図や『寛政重修諸家譜』は、この年に直茂が継いだと書く
・直茂の隠居の年は、幕府がのちにまとめた『徳川実紀』は1607年、『史料綜覧』は1610年に置く
・朝鮮への出兵では、朝鮮で多くの人が犠牲になった
・島津家の紋は、この時代には丸の無い十字だった可能性がある(動画では、のちに定まった丸に十字で描いた)
・人物と情景の絵は生成AIの想像図、語りは合成音声
■ 出典
地図・地形: 国土地理院(地理院タイル・陰影起伏図)
郡境: 『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」をもとにNIIが加工)
史料の札: 鶴田文書・成松家感状(『大日本史料』第10編之4)、龍造寺政家書状の写し(『佐賀市史』第1巻の翻刻)、『当代記』(『史籍雑纂』第2・国書刊行会 1911。刊本は龍造寺を「龍蔵寺」と刷る)、『葉隠』(三教書院 1937・聞書第一「夜陰の閑談」)。大友宗麟の書状(行弘文書)は訳だけ、豊臣秀吉の書状(鍋島報效会蔵)は所蔵館の解説が引く書き下しで示しています
語りの見方の出どころ: 『佐賀市史』1・2巻・『久保田町史』・及川亘氏・西森駿汰氏の研究、堀本一繁氏・中村知裕氏・藤野保氏の研究(紹介による)、『史料綜覧』・『日本戦史 九州役』・『当代記』・『葉隠』・『北肥戦誌』・『寛永諸家系図伝』・『成松遠江守信勝戦功略記』・『肥陽軍記』・『普聞集』・『龍造寺隆信譜』・『徳川実紀』・『建立天祐禅寺記』・『鍋島直正公伝』・フロイスの書簡(研究書の引用による)・鍋島報效会(徴古館)の解説
札の原文は刊本の版面で確かめた抜き出しで、字の多くは新字体に直しています。手紙の年の多くは編者や研究者の比定です。現代語訳はこの動画によるものです
BGM: Will you still cry?(まんぼう二等兵・OpenTracks)
効果音: 効果音ラボ
#鍋島直茂 #戦国時代 #日本史
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