なぜ80年も放置されたのか|ペリリュー島の密林で見つかった「消えた1,086人」
前の回:嘉数の実話 • 沖縄戦の実話|嘉数高地 なぜこの小さな丘で、ただ一度、米軍の損害が上回ったのか
この回は、ペリリューの戦いの「後」の80年の話です。74日間の戦いそのものは、次の回でくわしくお伝えします。
1944年9月、パラオのペリリュー島で、日本軍とアメリカ軍の戦いが始まりました。アメリカ軍は「4日で終わる」と見込みましたが、戦いは74日続き、11月24日、日本側の電報は「サクラ」の3文字で途切れました。
その島に、アメリカ軍が日本兵1,086人を埋めた場所があります。地図はアメリカに残っていましたが、80年のあいだ、そこは掘られませんでした。地図を見つけたのは国ではなく、茨城・水戸の遺族の会でした。
戦いの前に島を出された島民900人はどうなったのか。1947年4月に壕を出た34人のとき、島はどうなっていたのか。そして、なぜ1,086人の墓は掘れなかったのか。厚生労働省の資料、アジア歴史資料センターの電報綴、アメリカ海兵隊の公刊戦史と研究者の論文でたどります。
ペリリューの戦いを知らない方にも分かるように、最初に島の場所と戦いの流れを短く説明しています。
▼ 目次
0:00 映画『ペリリュー』の34人が出た壕の足元にあった、1,086人の墓
1:16 まず、全体の流れ
3:22 島民900人はどこへ消えたか|「一緒に戦わせて」の話を記録で確かめる
7:08 なぜ「4日で終わる」はずが74日続いたのか|500の洞窟
9:21 1944年11月24日、電報「サクラ」
11:55 終戦から1年8か月、壕を出た34人と2015年の慰霊
14:37 国より先に米軍の埋葬地図を見つけた、水戸の遺族の会
16:25 地図があるのに、なぜ発掘まで11年かかったのか
18:35 密林から現れた「一辺31メートル」の鉄の杭と379人の遺骨
19:59 なぜ遺骨は日本に帰っても家族のもとへ戻れないのか|DNAの壁
▼ この動画で分かること
・ペリリュー島はどこにあり、なぜ日米が戦ったのか
・戦いの前に島を出された島民900人の行き先と、その後
・アメリカ軍の「4日で終わる」と、日本側の「攻めなくていい」
・1944年11月24日、電報綴の余白に残った「サクラ」電
・1947年4月、壕を出た34人と、土の中に残った1,086人
・米軍の埋葬地の地図を見つけた、水戸の遺族の会
・掘り始めるまでに11年かかった理由
・2025年12月に帰ってきた91人分の遺骨と、戻らない名前
▼ 主な出典・参考文献
・厚生労働省「戦没者の遺骨収集事業の取組状況について」(令和8年度 第1回有識者会議 資料1)、厚生労働省フォトレポート(2025年5月4日・12月18日)
・アジア歴史資料センター(JACAR)Ref.C24070981300・C23110012700(防衛省防衛研究所)
・Frank O. Hough『The Assault on Peleliu』(米海兵隊 公刊戦史、1950年)
・Gordon D. Gayle『Bloody Beaches: The Marines at Peleliu』(1996年)
・Stephen C. Murray『The Battle Over Peleliu』(2016年)
・飯高伸五「パラオ・アンガウル島の戦争経験」(J-STAGE)
・岡村青『ペリリュー島玉砕戦』(2018年)
・東京新聞(2026年8月19日)
・映画『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』(2025年、原作 武田一義)(この動画に映画の映像・画像は使っていません)
※ 遺骨・遺体は映していません。発掘の写真は厚生労働省の公開写真です。
※ アメリカ軍の埋葬地の位置は、資料の地図の印を衛星画像に合わせた「おおよそ」の位置です。数字は資料によって違うものがあり、違うまま扱っています。
※ 当時の場面の絵・動画で「再現イメージ」と表示したものは、実際の場面の記録ではありません。
※ 電報綴の紙は、JACAR の記載をもとに再現したものです。
※ 記録映像:米国立公文書館(NARA)、米海軍・米海兵隊・米陸軍(いずれも公有、archive.org)。
※ 写真:厚生労働省(公共データ利用規約 第1.0版により加工して作成)、米陸軍通信隊・米海軍・米海兵隊・米国防総省・米国立公文書館ほか(公有)、Nesnad(千鳥ヶ淵戦没者墓苑、CC BY 4.0)。いずれも Wikimedia Commons ほか。
※ 衛星画像:Sentinel-2 cloudless - https://s2maps.eu by EOX IT Services GmbH (Contains modified Copernicus Sentinel data 2016)、CC BY 4.0。標高:Copernicus DEM(© DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA)。3D地形はこれらをもとに自作しました。
※ オープニングの3Dモデル:This work is based on "Battleship Yamato 戦艦大和" (https://sketchfab.com/3d-models/battl...) by KaguyasamaFA (https://sketchfab.com/kaguyafa) licensed under CC-BY-4.0
※ 図・BGM・効果音はオリジナルです。
※ アンガウル島の舩坂弘さん、中川大佐への御嘉賞の回数、海兵隊の師団長の交代は、今回は入れていません。
※ 特定の人や国を責めたり、たたえたりするための動画ではありません。
▼ 嘉数高地(沖縄戦)の回はこちら
• 沖縄戦の実話|嘉数高地 なぜこの小さな丘で、ただ一度、米軍の損害が上回ったのか
▼ 硫黄島の回はこちら
1本目 • 硫黄島からの手紙の実話|死者は日本が3倍なのに、なぜ米軍の死傷者が上回ったのか
2本目 • 硫黄島からの手紙の実話 |映画のあと、地下にはまだ2,500人が生きていた
▼ 戦艦大和の回はこちら
• 男たちの大和の実話|帰らない作戦のはずなのに、なぜ1,706人は海から帰れたのか
#ペリリュー #ペリリュー島 #楽園のゲルニカ
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