【最新AIが踏み込む】信康の切腹は信長の命令ではなかった...家康が妻・瀬名と長男を死なせた本当の理由とは...
1579年、徳川家康の長男・松平信康が二俣城で切腹し、その半月前には正室の築山殿も佐鳴湖のほとりで命を落としました。信長に命じられ、家康は泣く泣く従ったと語られてきた事件です。ところが、その年に家康が書いた手紙には、信長の命令の字がひとつもありません...
家康は、なぜ自分の手で、妻と長男を死なせたのでしょうか...
■チャプター
0:00 はじめに
0:40 第1章 二俣城の9月15日
4:50 第2章 50年後に書かれた命令
11:25 第3章 2つに割れた徳川
14:58 第4章 息子を斬った夏、家康は何をしていたか
19:39 第5章 母が先に死んだ理由
23:12 第6章 家康が建てた寺
■参考にした記録・資料
・徳川家康書状(天正7年8月8日・堀秀政宛、『愛知県史 資料編11』所収)
・『家忠日記』(松平家忠・駒澤大学図書館所蔵・重要文化財)
・『信長公記』『安土日記』(太田牛一)/『当代記』/『松平記』/『三河物語』(大久保忠教)
・黒田基樹『家康の正妻築山殿』(平凡社新書 2022年)・『徳川家康の最新研究』(朝日新書 2023年)
・平山優『徳川家康と武田勝頼』(幻冬舎新書 2023年)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中公新書 2022年)
・柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社 2017年)
・谷口克広『信長と家康の軍事同盟』(吉川弘文館 2019年)
・金子拓『長篠の戦い』(戎光祥出版 2020年)
・浜松市(清瀧寺・二俣城跡)・岡崎市観光協会(若宮八幡宮)・新宿区(西念寺 岡崎三郎信康供養塔)の案内
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