徳川幕府が「豊臣の身内なのに残した」大名家ベスト5
豊臣家につながる家は、関ヶ原のあと、すべて消えたわけではありません。領地を失ってから再興した家、別の国へ移った家、戦後に領地を増やした家もありました。豊臣の身内でありながら、どのような道をたどって徳川の世を生き抜いたのでしょうか。
今回は京極家、前田家、浅野家、木下家、小出家を取り上げます。秀吉との血縁や婚姻だけでなく、関ヶ原での立場、跡継ぎの問題、幕府が命じた国替えから、家が続いた経緯をたどります。
【今回取り上げる五つの家】
第五位 京極家
跡継ぎのない京極忠高の死で、松江の二十六万四千石を失った家。同じ年、甥の高和が竜野六万石で家を再興し、のちに丸亀へ移りました。残った家名と失われた領地を分けて、その再出発を見つめます。
第四位 前田家
秀吉と親族同様の縁を持った家。利長は関ヶ原の本戦には参加しませんでしたが、加賀で西軍の城を攻め、戦後には大きな加増を受けました。母の江戸下向から戦後の領地まで、大藩が続いた道を追います。
第三位 浅野家
秀吉と相婿の関係にあった浅野長政の家。次男の長晟は、福島正則が去った広島へ和歌山から船で入りました。豊臣につながる領主の交代と、大坂の陣を経た浅野家の立場に注目します。
第二位 木下家
高台院の兄・木下家定につながる家。西軍についた兄が所領を失った一方、徳川方についた延俊は豊後日出に三万石を得ました。兄弟の異なる選択と、九州で始まった家の歩みをたどります。
第一位 小出家
秀吉の叔母を妻とした小出秀政の家。関ヶ原では父と兄が西軍、弟が東軍に分かれました。所領の安堵を経て、園部の家は一度も国替えのないまま明治を迎えます。家の分岐と存続を追います。
同じ「豊臣の身内」でも、徳川の世へ続いた道は一つではありません。家名を残すこと、同じ土地を治め続けること、以前の石高を保つこと。その違いから、戦後の大名家の姿が見えてきます。
気になった家や、今後取り上げてほしい人物・地域がありましたら、ぜひコメントで教えてください。
【チャプター】
00:00 はじめに
00:25 第五位 京極家(讃岐丸亀藩)
05:07 第四位 前田家(加賀藩)
09:17 第三位 浅野家(安芸広島藩)
13:54 第二位 木下家(豊後日出藩)
18:12 第一位 小出家(丹波園部藩)
22:53 まとめ
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※動画内の会話には、史料で確認できない部分を、当時の状況や人物像をもとに想像して構成した表現が含まれます。
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