【海外の反応】「日本の車で、この雪山に入るつもりか」と笑われたランドクルーザー…入札に負けた1台の試作車が、190の国で"帰ってこられる車"と呼ばれた理由
「日本の車で、この雪山に入るつもりか」
1951年8月1日、1台の日本のジープが生まれました。トヨタジープBJ。警察予備隊の入札では実績のある三菱のジープに敗れ、「ジープ」の名前も使えなくなった試作車は、1954年6月に「ランドクルーザー」と名付けられます。そして75年後の2026年、累計1,240万台以上、190を超える国と地域を走る車になりました(2026年8月1日に75周年、10月1日に"300"のハイブリッドを国内で発売)。
結核で大学を去り、夜の店のマスターをしていた技術者・梅原半二。富士山の六合目まで登った試作車。戦争の記憶が残るオーストラリアの雪山で笑われた13台。なぜ「行くならランドローバー、帰ってくるならランドクルーザー」と言われるようになったのか――。6つの章でたどります。
あなたには「この車なら必ず帰ってこられる」と思えた1台はありますか? ランドクルーザーの思い出や、忘れられない車の話をコメントで教えてください。
※本動画は公開報道・公的資料をもとに構成しています。数値は制作時点の報道に基づきます。
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