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ロンドンの水が週に3日しか出なかった時代、なぜ江戸だけ毎日出続けたのか?【世界史で読み解く江戸の水の謎】

ニッポン歴史速報12,348回視聴投稿日: 2026/10/01
西暦537年、ゴートの王がローマの11本の水道を切りました。総延長500キロ。その後、ローマの人口は100万人から10万人台に落ち込みます。 1854年のロンドンでは、同じ通りに住みながら、水道会社が違うだけで、コレラの死者が1万戸あたり315人と37人に分かれました。違いは、テムズ川のどこから水を取ったかだけでした。 その200年前。江戸の町では、43キロ先の多摩川から引いた水が、地下の木の管を通って、長屋の井戸から毎日、いつでも汲めていました。 この動画では、なぜ江戸の水が特別だったのかを、世界側の事情から順に読み解きます。 先にお断りしておくと、上水道を持っていたのは江戸だけではありません。ロンドンのニューリバーは1613年開通で、玉川上水より40年早いのです。 違ったのは、いつ出たか(週3日か、毎日か)、どこから来たか(テムズか、多摩川か)、誰のものだったか(会社か、町か)の3点でした。 1653年、玉川兄弟が43キロ、高低差92.3メートルの水路を、ポンプも動力も使わない自然流下方式で、わずか8か月で掘り上げた話。18世紀初めに総延長150キロに達した地下水道の話。旧暦7月7日に町内総出で井戸をさらった「井戸替え」の話をします。 『おくのほそ道』の松尾芭蕉が、1677年から4年間、神田上水の管理の仕事をしていたことをご存じでしょうか。1680年の上水浚いの文書には、芭蕉の俳号「桃青」が残っています。 さらに、玉川上水からは30か所を超える分水が引かれ、水のなかった武蔵野台地に次々と村が生まれました。今の小平、立川、東大和の町並みは、その分水の上にできたものです。 あわせて、江戸の水が完璧ではなかったことも正直にお伝えします。届いたのは人口の6割まで、1722年には6本の上水のうち4本が廃止され、1858年のコレラは防げませんでした。 最後まで見ていただくと、いま東京の蛇口から出る水が、370年前に掘られた線の上を流れていることが分かります。 あなたの町の水は、どこから来ていますか。ぜひコメント欄で教えてください。 #日本史 #世界史 #江戸時代 #玉川上水 #上水道 #水道 #ローマ #歴史解説 #ニッポン歴史速報

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