ザビエルが見た477年前の日本人 亡き親を思って泣く人々に宣教師は涙をこらえきれなかった
1549年8月15日、宣教師ザビエルは鹿児島に着きました。町じゅうの人が、遠い国から来た新しい坊さんを見に集まりました。日本を離れたあとの1552年1月、ザビエルはインドのコーチンで長い手紙を書きます。そこには、亡くなった子や親や親類の行く末を嘆き、涙を見せる日本の人々のことが書かれていました。その手紙の英訳を収めた本『The Life and Letters of St. Francis Xavier』(1872年)をもとに、鹿児島、平戸、山口、都、豊後に付いて行き、ザビエルが見た戦国の日本人を追体験する動画です。
マラッカで出会ったパウロの答え、くじで進む船、殿がひざまずいた聖母の絵、「口のきけない像」のような日々、野菜と米の暮らし、名誉を何よりも上に置く人々、80歳の寺の長。山口の子供たちのはやし言葉、王の前で読んだ1時間、雪と霜の都への道と荒れた都、金も銀も受け取らなかった男、町じゅうの問い。亡き親のために泣く人々に、宣教師は何と答え、それをどう書き残したのか。
0:00 泣いて問う人々 何と答えたか
2:06 マラッカの出会い 何を見るのか
6:30 聖母の絵 殿はどうしたか
11:13 殿の許し 名誉と貧しさの国
15:51 平戸と山口 王の前の1時間
20:39 都への道 王に会えたか
26:27 ふたたび山口 問いの町
33:23 亡き親の涙 宣教師の答えは
39:15 記録の出どころと今の山口
外国人が書き残した日本の場面に、その場にいるように立ち会っていただくチャンネルです。
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■出典
・Henry James Coleridge『The Life and Letters of St. Francis Xavier』Vol. II(London: Burns and Oates・1872年)
https://archive.org/details/LifeLette...
・同 Vol. I(1872年)
https://archive.org/details/the_life_...
・邦訳:河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(平凡社・1985年)。東洋文庫 579〜582(全4巻・1994年)もあります。
動画の中の訳は、邦訳ではなく、すべてこのチャンネルで Coleridge の英文から訳しました。この英文はラテン語の訳からの英訳で、ザビエルが書いた元の手紙とは言い回しが違う所があります。
・国土交通省 観光庁 多言語解説文データベース「サビエル記念聖堂」
https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R5-...
■注
・「477年前」は、ザビエルが鹿児島に着いた年(1549年)から今年(2026年)までの年数です。
・「パウロ」は手紙での呼び名です(最初の手紙では Anger)。日本の名の読みは確かめられていないので、声では言っていません。
・「殿」「王」の名は手紙に書かれていないので、出していません。
・ザビエルは日本の言葉を話せませんでした。第1章〜第3章はパウロが訳す形で描いています。第6章で王や町の人とやりとりした所は、だれが日本の言葉にしたかが手紙に書かれていません。
・「レグア」は手紙の道のりの単位です。キロメートルには直していません。都の家の数は、鹿児島からの手紙では9万軒あまりと、手紙によって違います。
・第5章の道中の細かいようすは、この旅に加わっていないトーレスの手紙と、のちの伝記(Coleridge の地の文)によるものです。
・ザビエルの吹き出しは、外国語の印を付けて日本語の字で書いています。
・吹き出しと心の声は演出です。記録の言葉をもとにした物のほかに、場面をつなぐために作った台詞もあります。着物や持ち物の色と形は、絵の想像です。
■制作について
絵は、記録をもとに AI の画像生成で木版画の風に描いた再現です。冒頭の3つの場面は、その絵を AI で動かした映像です。声と、BGM・効果音の一部は AI の音声生成で作りました。BGM と効果音の残りは、素材ライブラリの物を使っています。本の扉と頁は、Internet Archive にある1872年版(トロント大学・オックスフォードの写し)の本物の写しです。ザビエルの肖像と南蛮屏風は、神戸市立博物館所蔵の昔の絵(Wikimedia Commons)です。地図は、国土地理院の標高タイルと Natural Earth をもとに作成しました。台本と組み立ては、このチャンネルで行っています。
#ザビエル #戦国時代 #外国人から見た日本
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