邪馬台国はどこにあったのか|有名な候補地8か所を、魏志倭人伝の6つの物差しで採点した
邪馬台国はどこにあったのか。候補地は九州から関東まで数十か所あります。その中から有名な8か所(吉備・出雲・阿波・宇佐・山門・朝倉・吉野ヶ里・奈良)を、魏志倭人伝に書かれた6つの物差し(方角・広い土地・宮殿と物見やぐらと柵・鏡・朱・大きな墓)で、同じように比べました。それぞれの説を推す人の一番の根拠と、発掘で分かっている事実も1つずつ紹介しています。方角と土地の広さは、国の標高データなどで自分で測りました。一番多く合ったのはどこだったのか。あなたはどこだと思いますか? ぜひコメントで教えてください。
邪馬台国はどこにあったのか(魏志倭人伝の道のり): • 邪馬台国はどこにあったのか|魏志倭人伝の道のりを、自分で地図にたどってみた
卑弥呼の墓は宇佐神宮の下にあるのか: • 卑弥呼の墓は宇佐神宮の下にあるのか|本殿の丘を標高データで測り、石棺の目撃談をたどった
邪馬台国はどこへ消えたのか(空白の150年): • 邪馬台国はどこへ消えたのか|空白の150年を、古墳の地図と朝鮮の記録で確かめた
▼目次
0:00 有名な候補地8か所を採点する
0:49 物差しの作り方
3:43 吉備
5:35 出雲
7:23 阿波
9:12 宇佐
10:51 山門
12:41 朝倉
14:19 吉野ヶ里
16:30 奈良
19:03 答え合わせ
▼この動画の物差し(点の付け方)
・方角:倭人伝は不弥国の先を「南」と書く。場所の分かる区間で比べると、記録の方角は実際と最大66度ずれていたので、南から66度以内を「合う」とした(自前の計測)
・広い土地:七万余戸は倭人伝で一番大きな国。奴国(福岡平野)より広い平らな土地があるかを、国土地理院の標高データで半径20kmの中を測って比べた(自前の計測)
・宮殿・物見やぐら・柵:3世紀前半の遺跡で3つそろえば「合う」、1〜2つなら「一部」
・鏡:3世紀前半の中国の鏡が確かめられれば「合う」、年代や種類があいまいなら「一部」
・朱:朱を掘った山があれば「合う」、朱を使った墓があれば「一部」
・墓:3世紀中ごろの大きな墓があれば「合う」、大きさか年代の片方が合えば「一部」
・どの物差しでも、年代について研究者の見方が割れている物は「一部」。合う=1点、一部=0.5点
・方角と土地の0点は「書かれた通りに読むと合わない」、ほかの0点は「まだ確かめられていない」という意味で、その説がハズレという意味ではない
▼出典・参考
一次資料
・『三国志』魏書 東夷伝 倭人条(魏志倭人伝)、『日本書紀』巻9 神功皇后紀
発掘・研究
・吉野ヶ里歴史公園「吉野ヶ里の歴史」「魏志倭人伝」解説、文化遺産データベース「平塚川添遺跡」、佐賀県の発表(2023年 吉野ヶ里遺跡の石棺墓)
・Wikipedia「楯築墳丘墓」「特殊器台」「浦間茶臼山古墳」「投馬国」「荒神谷遺跡」「加茂岩倉遺跡」「西谷墳墓群」「若杉山遺跡」「萩原墳墓群」「宇佐神宮」「川部・高森古墳群」「田油津媛」「女山神籠石」「平塚川添遺跡」「吉野ヶ里遺跡」「纒向遺跡」「箸墓古墳」「ホケノ山古墳」「邪馬台国論争」「白鳥庫吉」「内藤湖南」「安本美典」ほか
計算・地図
・方角:国土地理院の地名検索の座標から自前で計算
・平らな土地:国土地理院 標高タイル(DEM10B)を自前で計測
・地図:国土地理院 標高タイル・陰影起伏図を加工
画像:Wikimedia Commons(各画面に表示)
#邪馬台国 #卑弥呼 #魏志倭人伝 #吉野ヶ里 #纒向遺跡 #古代史 #日本史 #日本古代史の検証所
コメント 読み込み中…