五稜郭の捕虜は、35年後にロシア軍の大攻勢の前に立った|沙河会戦・花の梅沢旅団【日露戦争】
1904年10月7日の夜、満洲の山あいの町・本渓湖。日本軍の戦線のいちばん東の端に、兵役をいったん終えた男たちを集めた後備兵の旅団がいました。司令部から「下がれ」という命令が届き、副官は「兵を下げるのは明日でいい」と進言します。しかし旅団長は、その夜のうちに旅団のすべてを下げました。翌日、ロシア軍の大部隊が、旅団のいた場所へ押し寄せます。
旅団長の名は梅沢道治。50歳。定年の前日に少将になったばかりの軍人で、35年前には旧幕府軍の側で箱館の戦いに加わり、15歳で捕虜となっていました。遼陽で敵を追えなかった日本軍は、およそ2倍のロシア軍が仕掛けた初めての大攻勢を、なぜ止めることができたのか。そして、なぜまた勝ちきれなかったのか。防衛研究所の史料、アジア歴史資料センターの電報、当時のタイムズ紙の分析、新発田の歩兵第16聯隊の兵士の日誌、当時の写真帖と地図で見直します。
■この動画でわかること
・遼陽のあと、クロパトキンが攻めに転じた理由と「山で勝負を決める」計画
・10月7日、守るか攻めるかを決めきれなかった満洲軍総司令部
・仙台藩士の子・梅沢道治が、五稜郭の捕虜から近衛の旅団長になるまで
・後備兵とはどんな兵だったのか、近衛後備混成旅団という寄せ集めの旅団
・副官・荒木貞夫の上申と「いくさには、においというものがある」
・本渓湖の三日間 ― 「一歩も退かず」は正確ではない、タイムズ紙が書いたこと
・第2軍・第4軍の反撃と、田中勝蔵の日誌「実に愉快なり」
・万宝山の山田支隊と、ふたたび足りなくなった砲弾
・「沙河の対陣」から黒溝台、奉天へ
■チャプター
0:00 1904年10月7日の夜、本渓湖
1:33 第一章 追えなかったあとで
5:28 第二章 五稜郭の少年
10:10 第三章 突き出した右の端
13:42 第四章 本渓湖の三日間
17:45 第五章 反撃
22:02 第六章 万宝山と砲弾
25:30 結び においを知る男
■関連動画
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■参考文献・史料
・防衛研究所 戦史研究センター史料室「史料のなかの軍人たち」梅沢道治
・防衛研究所所蔵「沙河会戦ニ於ケル第一軍戦闘詳報」(戦役-日露戦役-205)
・アジア歴史資料センター(JACAR)日露戦争特別展II「沙河会戦」解説および史料(Ref. C09050700200, C09050705700, C09050705600, C09050705800, C06041192200, C06041193700)
・国立公文書館所蔵 The Times 記事の翻訳(時事新報)「露軍の誤算、日本軍の実際」「露国の失敗」「日本軍の失策」(1905年3月)
・『参戦二十将星 回顧卅年 日露大戦を語る 陸軍篇』(1935年)
・横山久幸「技術戦としての日露戦争」(防衛研究所、2004年)
・大谷正「ある予備役将校の日露戦争体験(二)」『専修人文論集』99号(2016年)
・佐藤和敏「征露日誌」紹介記事(陸上自衛隊 新発田駐屯地 広報誌「白壁」第9号・第10号)
・参謀本部編『明治卅七八年日露戦史』第4巻
・Ian Hamilton, A Staff Officer's Scrap-Book during the Russo-Japanese War, Vol. II
・『日本人名大辞典』(講談社)梅沢道治
※兵力・死傷者の数は資料によって異なります(日本軍の死傷 約2万、ロシア軍の死傷 約4万 など)。逸話には「〜と伝えられています」「〜とされます」と付けています。山田支隊の損害の日付は、アジア歴史資料センターの史料に合わせて10月16日としています(タイムズ紙の記事は17日)。
■画像出典
・国立国会図書館デジタルコレクション『日露戦役写真帖』(1905〜1906年)(パブリックドメイン)
・Réginald Kann 撮影の写真(1904年)、当時の絵はがき・錦絵・雑誌・書籍の挿絵、Ian Hamilton のスケッチ、肖像写真:いずれも Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・現在の五稜郭:MIKI Yoshihito, CC BY 2.0(Wikimedia Commons)
・現在の本渓:沈阳刘继鲁, CC BY 3.0(Wikimedia Commons)
・地図は Terrain Tiles(Mapzen / AWS Open Data)をもとに自作
■音楽
BGM:OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)
ハンニバル/哀しみの大地/カエサル~英雄、光をもたらす者~(田中芳典)、迫り来る軍靴の足音的なBGM(鷹尾まさき)、大河(伊藤ケイスケ)、鏡の森/聖戦(Heitaro Ashibe)、狼達の行軍(のる)
効果音:自作
■この動画の作り方
ナレーションの原稿は、史料と研究書をもとに、このチャンネルが一から書いています。映像は、当時の写真・写真帖・絵はがき・錦絵(パブリックドメイン)と、自作の地図・図表・字幕で構成しています。ナレーションには音声合成を使用しています。誤りにお気づきの方は、出典とあわせてコメントでお知らせください。
#日露戦争 #沙河会戦 #梅沢道治
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