【アイルトン・セナ】最強マシンのハンドル軸はなぜ折れたのか
平成6年(1994年)5月1日、イモラの7周目。アイルトン・セナのウィリアムズは、なぜ左の高速コーナー「タンブレロ」を曲がらず、まっすぐ壁へ向かったのでしょうか。
事故のあとに見つかったのは、一度切られて継ぎ足され、折れていたハンドル軸でした。世界最強のチームのマシンに、なぜそんな部品が付いていたのかを、図を使って順にひもといていきます。
前の年、アラン・プロストを4度目の王者にしたウィリアムズは、コンピューターが車高を保つアクティブサスペンションを積み、セナに「別の惑星のマシン」と言わせた車でした。ところが平成6年、電子制御の助けはほとんど禁止になります。床下のすきまが数ミリ変わるだけで路面に吸いつく力が消える新しいマシンを、セナは「地面の上を滑っているようだ」と表しました。狭いコクピットの中で、セナがチームに頼んだこともお話しします。
ブラジルのインテルラゴスではスピン、岡山の英田サーキットではスタート直後の接触。ポールポジションを2度取りながら、開幕2戦はポイント0のままでした。迎えたイモラでは、金曜日にバリチェロさんの車が宙を舞い、土曜日にはラッツェンバーガーさんが時速310キロを超える速さで壁にぶつかり、帰らぬ人となります。「もう走りたくない」とこぼしたその日の夜、セナはなぜ「明日は俺たちが勝つ」と言ったのでしょうか。
決勝ではセーフティカーの後ろで5周。冷えていくタイヤ、時速309キロのタンブレロ、そしてボローニャの検察が押収したマシン。ハンドル軸の断面に何が刻まれていたのか、イタリアの裁判所が13年をかけて出した結論、ウィリアムズ側が最後まで唱えた異論まで、最後の図でお見せします。そのあと、タンブレロの作り直し、ハンス装具の義務化、デイモン・ヒルさんとチームのその後、姉のヴィヴィアンさんが立ち上げたアイルトン・セナ財団まで、イモラのあとに残されたものをたどります。
00:00 平成6年5月1日 イモラの7周目
03:10 「別の惑星のマシン」と電子制御の禁止
09:05 狭いコクピットとセナの頼みごと
12:55 ブラジルと岡山 ポイント0の開幕2戦
15:50 イモラの金曜日と土曜日
22:05 決勝スタートと7周目のタンブレロ
27:45 押収されたマシンとハンドル軸の図
31:55 断面に刻まれていたもの
35:35 13年かかった裁判と残る異論
37:50 イモラのあとに変わったこと セナが残したもの
#アイルトンセナ #イモラ #モータースポーツ
📷 写真: Martin Lee from London UK (Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0); BWard 1997 (Wikimedia Commons · CC BY 4.0); Michael Garlick (Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0); Martin Lee (Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0); Calreyn88 (Wikimedia Commons · CC BY 4.0); Rick Dikeman (Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0); Carlo Marzetti (Wikimedia Commons · CC BY 4.0)
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