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【トヨタの原点】イギリスの織機に負けた大工の息子…24年後、負けた相手の会社が特許を買いに来ました...

やめなかった日本人たち128回視聴投稿日: 2026/10/31
「使節団は、この工場の訪問を心待ちにしていた」 1930年から翌年にかけて日本と中国の工場を回ったイギリス政府の使節団は、報告書に、愛知県刈谷の工場のことをこう書きました。理由は、豊田の織機の評判でした。 作ったのは、静岡の大工の息子、豊田佐吉。けれど1905年、佐吉の織機は、紡績会社の比べ合いで、イギリスのプラット社の普通の織機に負けています。佐吉は負けた理由を4つ書き出し、その最後を、自分に向けました。 1910年、43歳で会社を去り、特許の使用料は一度も受け取れないまま。それでも佐吉は、自分の特許をすべて手放した8万円で織機を200台にそろえ、自分の工場で試し続けます。 1924年、佐吉と息子の喜一郎たちは、止めずに杼(ひ)を替える「G型自動織機」を完成。1929年、あのプラット社が、その特許を買いに来ました。負けてから、24年が経っていました。 なぜ、織機の本家の国が、日本の織機を求めたのか。そして、なぜ、やめなかったのか。 答えは、1905年の負けを、自分に向けたところにあります。 遠州の村の機織りから、いまの自動車工場の「自働化」までを、社史・記念館の館報・イギリス政府の報告書などの一次情報から、順に見ていきます。 G型を作るために生まれた豊田自動織機。2026年11月18日が、設立からちょうど100年の日です。 ■ 目次 0:00 24年前、負けていた(イギリス政府の使節団と刈谷の工場、途切れずに動く1,004台、大工の息子) 1:41 第1章 納屋の変わり者(母の機織りと杼、18歳の決心、1890年の博覧会、1896年の動力織機、止まる仕掛け) 5:18 第2章 3〜4分の壁(3〜4分で尽きるよこ糸、走りながら杼を替える、1905年の負け、負けた理由の4つ目、ここから24年) 9:03 第3章 会社を去って(43歳の辞任、受け取れなかった特許料、8万円で手放した特許、工場に寝泊りした喜一郎、200台の試験、1924年のG型) 14:58 第4章 負けた相手が、来た(1926年の会社、5,643台の注文、1929年のプラット社との契約、イギリスへ渡った技術者、63歳の死) 20:51 糸が切れたら、止まる(ロンドンの科学博物館、トヨタの自働化、戦後初の輸出の機械、記念館で動く第1号機、100年) ※使える写真がない織機・家などは、3DCGと切り絵で再現したイメージです。 ―――――――――― このチャンネルでは、日本人の凄さの理由を、一つずつ掘り下げていきます。 次の話も見たい方は、ぜひ高評価とチャンネル登録で、応援をお願いします。 ナレーション:VOICEVOX:青山龍星 ■ 写真 ・トヨタ産業技術記念館の外観:alonfloc(CC BY 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・ノースロップ式自動織機:Clem Rutter, Rochester, Kent.(CC BY 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・プラット・ブラザーズ社の銘板:Santiago Yaniz Aramendia(CC BY 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・プラット・ブラザーズ社の打綿機(1885年):Friviere(CC BY 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・力織機の版画(1862年ごろ):Wellcome Collection(CC BY 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・トヨタ産業技術記念館の手織りの実演:Sharon Hahn Darlin(CC BY 2.0) https://www.flickr.com/photos/4198048... ・トヨタ産業技術記念館の紡績機の展示:amanderson2(CC BY 2.0) https://www.flickr.com/photos/4939901... ライセンス:CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/... / CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/... / CC BY 4.0 https://creativecommons.org/licenses/...

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