明智光秀は無罪説をAIで検証「書き直された日記の不可解な点」織田信長への恨みは濡れ衣か【本能寺の変】
天正10年6月2日、本能寺の変。主君・織田信長を討った明智光秀は、信長への恨みから謀反を起こした、と長く語られてきました。
家康をもてなす魚が腐っていて叱られた話、人質の母が殺された話。けれど近ごろは、光秀は無実だった、とも語られます。
カギを握るのは、光秀と何度も会った京の神主・吉田兼見の日記。同じ年の分が2冊あり、1冊は光秀が敗れたあとに書き直されたと見られています。
今回は、2冊をAIで1字ずつ比べ、当時の記録と、恨みの話を書いた後世の書物を年表に並べて、信長への恨みは濡れ衣なのかを検証しました。
光秀の恨みについての見方は、3つに分かれます。恨みは、のちに着せられた物語。小さな火種が積もった恨み。恨みではなく、天下への野心や四国の問題。
あなたは、どれだと考えますか? コメントで聞かせてください。
■ 目次
0:00 はじめに
2:21 1章 光秀を迎えた日の日記は、どう書き直されたのか
10:20 2章 変の前、光秀と信長の間に何があったのか
14:20 3章 変の朝から安土まで、日記の光秀はどう変わったのか
18:46 4章 日記は、なぜ書き直されたのか
26:20 5章 勝った秀吉の側は、光秀をどう書いたのか
30:48 6章 恨みの話は、いつ生まれたのか
35:54 7章 恨みの火種は、本当に無かったのか
39:26 8章 光秀は、何にハメられたのか
■ 主な史料
『兼見卿記』(『大日本史料』第十一編之一)、明智光秀の覚書(細川藤孝・忠興あて)、『言経卿記』『多聞院日記』『信長公記』『惟任退治記』『日本外史』、ルイス・フロイス『日本史』ほか
※ 史料・画像・地図の出典は、動画の各場面の右下に出しています。
※ サムネイルの絵は、明智光秀・織田信長の肖像画をもとにAIで作成したイメージです。
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