【本能寺の変 その後】織田信長の遺体はどこへ消えたのか? 信長公記を全部読み、本能寺の火事をAIで10万回再現したら、骨の行き先が見えた
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1582年6月2日、本能寺で命を落とした織田信長。ところが、その遺体と首は、440年以上たった今も見つかっていません。
生き延びた、火薬で吹き飛んだ、誰かが持ち出した――。本能寺の変の動画に多くいただいた「信長の遺体はなぜ見つからないのか」というコメントから、今回はこの謎をAIで検証しました。
AIにさせたことは3つです。
・信長の家臣が書いた『信長公記』を最初から最後まで読み、最期が書かれた戦国の大将たちの「首の行方」を数える
・本能寺の御殿の火事を、燃え方の条件を変えながら10万回再現し、体と骨がどうなったか、焼け跡に入れるのは何時ごろかを出す
・遺体の行き先についての7つの説を、同じところから始めて、手がかりを1つずつ入れて確からしさを計算する
決め手になったのは、事件から約40日後に京都の公家が書いた、1行の日記でした。
※ 結論は「今残っている記録と計算をつないだときに、一番筋が通る答え」です。ほかの見方も動画の最後で説明しています。
■ 目次
0:00 はじめに
3:09 信長の最期
5:36 遺体が消えたのは、信長だけか
9:20 本能寺の火事を再現する
13:45 光秀は、なぜ探し出せなかったのか
16:16 信長の骨は、どこへ行ったのか
26:19 首を渡さなかった信長
■ 使った史料(国立国会図書館デジタルコレクション)
・太田牛一『信長公記』(明治14年刊)
・山科言経『言経卿記』天正10年7月11日条、雍州府志(1684年)ほか:東京大学史料編纂所『大日本史料』第十一編之二(1928)
・『信長公阿弥陀寺由緒之記録』:『史料通信叢誌』第4編(1897)、成立は『改定史籍集覧 総目解題』(1921)による
・『史料綜覧』巻11(光秀の首が本能寺にさらされた日付ほか)
・秀吉の中川清秀あて書状(梅林寺文書)
■ AIの計算に使った研究
・Bohnert M, Rost T, Pollak S (1998) The degree of destruction of human bodies in relation to the duration of the fire. Forensic Science International 95:11-21
・木材の炭化の速さ(木造建築の防火設計で使われる値)
・京都市埋蔵文化財研究所『平安京左京四条二坊十五町跡・本能寺城跡』(2008)
■ 画像
・画像は Wikimedia Commons・国立国会図書館デジタルコレクションより
・阿弥陀寺の山門(京都市上京区):Bittercup/CC BY-SA 4.0(https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi...
・織田信長公本廟の碑(阿弥陀寺):CC0
・そのほかの武将の肖像画はパブリックドメイン
■ 音声
VOICEVOX:青山龍星
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