【433年の謎】豊臣秀頼の本当の父親をAIに採点させたら、記録に名前のない意外な人物が残った
1593年8月3日、大坂城の二の丸。淀殿が一人の男の子を産みました。のちの豊臣秀頼です。
ところが父とされた秀吉は、そのとき九州の名護屋城にいました。しかも秀吉自身が書いた、この子をめぐる正反対の手紙が二通残っています。
秀頼は、本当に秀吉の子だったのか。そして、生まれたその年に城の奥で何人もの者が成敗されたのはなぜなのか。
今回は、同じ時代に書かれた日記や手紙をもとに、秀頼の父親とされる候補をAIに採点させてみました。
石田三成、名古屋山三郎、大野治長、そして秀吉本人。AIが最後に1位に選んだのは、記録に名前の残らない意外な人物でした。
さらに「秀吉と子どもの数字」も、記録から確かめています。
あなたは、秀頼の本当の父は誰だったと思いますか? コメントであなたの推理を聞かせてください。
※ AIの採点は一つの推理です。今残っている記録をもとにした見立てで、定説を示すものではありません。
■ 目次
0:00 つかみ
1:36 第1章 父の名は、なぜ記録にないのか
5:39 第2章 有名な噂は、本当なのか
9:14 第3章 父親になれたのは誰か
9:38 候補1 石田三成
10:45 候補2 名古屋山三郎
12:10 候補3 大野治長
13:52 候補4 豊臣秀吉
15:54 第4章 生まれた後、城の奥で何が起きたのか
19:30 AIの採点結果
20:48 第5章 なぜ人々は首をかしげたのか
22:32 第6章 三つの記録は、何を語るのか
24:25 最後の問い
■ 参考にした史料・研究
・豊臣秀吉自筆書状(文禄2年5月22日付・8月9日付)
・『時慶記』(西洞院時慶の日記)・『兼見卿記』・『駒井日記』(いずれも同時代の日記)
・平塚滝俊書状、内藤隆春書状、豊臣秀吉遺言状(慶長3年8月5日)
・『長澤聞書』、『明良洪範』、『塩尻』、『武辺雑談』(後世の聞き書き・書物を含む)
・服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』、本郷和人氏、渡邊大門氏、藤田恒春氏、磯田道史氏の指摘
・日付は当時の暦(旧暦)です。年齢は数え年です
■ 画像
・史料画像はすべて Wikimedia Commons より(Public domain)
・大坂夏の陣図屏風、洛中洛外図屏風(舟木本):Public domain
・豊臣秀吉像、淀殿像、豊臣秀頼像、石田三成像、高台院(北政所)像、徳川家康像、大野治長(大坂夏の陣図屏風より):Public domain
・「イメージ」と表示した名古屋山三郎・松浦重政・唱門師の人物画と背景の絵は、当時の肖像が残っていないため制作側で作成したイメージです
・地図は公開されている行政区画データをもとに自作
■ 音声
VOICEVOX:青山龍星
■ BGM
Kevin MacLeod "Lightless Dawn" (CC BY)
"Lightless Dawn" Kevin MacLeod (incompetech.com)
Licensed under Creative Commons: By Attribution 4.0 License
http://creativecommons.org/licenses/b...
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