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【世界史】漢・三国・晋、位を降りた皇帝7人はそのあと何年生きたかのか。悲惨な末路について解説【歴史】

世界史の末路【解説】998回視聴投稿日: 2026/11/04
220年、後漢の献帝が魏の曹丕に位を譲り、漢が終わりました。位を降りた皇帝は殺されず、山陽公として1万戸を与えられ、臣と名乗らなくてよい「客」として迎えられます。 ところが、それから201年のあいだに位を降りた・捕らわれた皇帝7人を並べると、降りてから生きた年数は、献帝14年・劉禅8年・孫晧4年ほど・曹奐37年に対し、晋の懐帝1年8か月・愍帝1年余・恭帝1年3か月と大きく分かれます(『後漢書』『三国志』『晋書』『宋書』の記事による)。 この動画では、220年の禅譲から421年の恭帝の死までの201年を、7人の皇帝ごとに、位を降りた年・与えられた位・亡くなった年・享年でたどります。 今回の動画のポイント ・冒頭:位を降りた皇帝7人、そのあとの年数 ・第1章:220年、漢が終わった日(禅譲と山陽公の条件) ・第2章:献帝、山陽公として14年(見張りの役と、家の終わり) ・第3章:劉禅と孫晧、降伏から8年と4年ほど(「此間楽しく、蜀を思わず」は『漢晋春秋』の伝え) ・第4章:懐帝と愍帝、平陽で1年8か月と1年余(永嘉の乱) ・第5章:恭帝、譲って1年3か月の零陵王(起点から201年目) ・第6章:曹奐、降りてから37年(晋の武帝より12年長く) ・まとめ:201年で消えた「客として生かす」作法(趙翼『廿二史箚記』の見立て) 最後までご覧いただき、ありがとうございます。参考になったら、高評価とチャンネル登録をお願いします。次の「その後」もお届けします。 献帝の濁鹿城・禅陵(河南省焦作市修武県)や、恭帝の秣陵(南京)など、7人の皇帝ゆかりの土地に残る伝承や、現地を訪ねた話があれば、コメント欄で教えてください。 ▼目次 00:00 はじめに 01:19 漢が終わった日|220年、禅譲と山陽公の条件 03:27 献帝|山陽公として14年 05:39 劉禅と孫晧|降伏から8年と4年ほど 08:55 懐帝と愍帝|平陽で1年8か月と1年余り 12:30 恭帝|譲って1年3か月、起点から201年目 16:34 曹奐|ただ1人の例外、降りてから37年 19:11 まとめ 201年で変わった作法|趙翼の見立て ▼制作について ・ナレーションは合成音声です(VOICEVOX:青山龍星)。 ・地図・年表・図は、上の資料をもとに本チャンネルで作成しました。 効果音は本チャンネルで作成しました。 ・人物・旗・印などのアニメの場面は、本チャンネルで描いたイメージです。 人物の姿は肖像画をもとにしたものではありません。 ▼訂正 ・公開後に誤りが見つかった場合は、ここに追記します。 #世界史 #中国史 #三国志 #献帝 #劉禅 #晋 #世界史の末路

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