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卑弥呼は天照大神だったのか|1800年前の空を自分で計算して、天岩戸の夜を確かめた

日本古代史の検証所31,769回視聴投稿日: 2026/10/18
卑弥呼は天照大神だったのか。天岩戸は、卑弥呼の死の頃の空の記憶なのか。 古事記・日本書紀の天岩戸と、魏志倭人伝の卑弥呼を原文で読み、名前の読み・弟・岩戸の前後の天照・葬式の歌と踊り、記紀の中の卑弥呼の候補(神功皇后・倭姫命・倭迹迹日百襲姫命・天照大神)、「銅鏡百枚」、高天原の場所、世界の太陽が隠れる神話と冬至の祭りまでたどり、国立天文台の研究者の論文(2010年・2012年)を読んだうえで、247年・248年の日食と、1〜700年に日本で見えた皆既日食、日本書紀の日食記事を自分で計算しました。地球の自転の遅れ(ΔT)を動かすと、皆既の帯はどこへ動くのか。見えた物と見えなかった物を分けて答え合わせします。 前の回(邪馬台国はどこにあったのか):   • 邪馬台国はどこにあったのか|魏志倭人伝の道のりを、自分で地図にたどってみた   ▼目次 0:00 卑弥呼は天照大神だったのか 1:27 天岩戸に何が書いてあるか 4:20 卑弥呼の最期 7:17 似ている所 9:16 名前は語るか 12:39 弟は誰か、二度目の岩戸 17:33 反対の材料 18:35 記紀の中の卑弥呼は誰か 23:31 銅鏡百枚はどこへ行ったか 26:52 高天原はどこにあったのか 30:43 そもそも日食の話なのか 35:17 日食説 36:50 地球のずれ 40:38 自分で計算 46:55 日本書紀の日食は見たのか 49:51 答え合わせ ▼この動画で分かったこと ・魏志倭人伝で年が書かれているのは「其の八年(247年)太守王頎が着任」だけ。卑弥呼の死の年・月・日は書かれていない(247年・248年・それ以後と研究者で幅がある) ・247年3月24日(正始8年2月庚午朔)の日食は魏の史書(晋書・三国志)に記録がある。日本では夕方、欠けたまま沈む日食で、標準のΔTでは伊都国の辺りで99%、吉野ヶ里で98%、纒向で直径の6割 ・248年9月5日の日食は、日本では朝、欠けたまま昇る日食。皆既の帯は隠岐の沖〜能登・富山湾〜会津 ・ΔTを±1000秒動かしても、伊都国・吉野ヶ里(247年)と北部九州・纒向(248年)は皆既にならなかった。北九州市はΔTの値によって皆既になる(2012年の論文と同じ) ・白鳥庫吉(1910)は岩戸の物語と卑弥呼の最期の「酷似」を指摘したが、同一人物とは言っていない(「反映」) ・日本書紀の編者は、神功皇后の摂政39年(239年)に魏志を引き、卑弥呼を神功皇后に重ねている。1910年には白鳥庫吉(天照に「酷似」)と内藤湖南(倭姫命)が同じ年に論じた ・「卑弥呼」の読みは江戸時代から「ひめみこと」「ひめこ」「ひのみこ」と分かれてきた。昔の中国語の復元では「呼」はコ(k)ではない。魏志倭人伝の中でも「こ」は狗・觚・古で書かれ、「呼」は使われていない。名前は前半(卑・弥)が合うだけで、決め手にならない ・日本書紀で日の神が生まれる場面の本文の名は「大日孁貴(おおひるめのむち)」。「孁」は字典では女の名に使う字。「日に仕える巫女」は辞典の解釈 ・魏志の「男弟」は国を治めるのを助けるが、記紀のスサノオは「国を奪いに来た」と疑われる弟で、役回りが正反対。「岩戸の前の天照=卑弥呼、後の天照=台与」は和辻哲郎・安本美典の読み(白鳥1910の原文は「似ている」まで) ・万葉集の手持女王の挽歌は、王の墓を「岩戸」で閉ざし「岩戸破る手力もがも」と歌う。岩戸神話に死と再生が重なって見える、と國學院大學の研究者は書く。「天岩戸は葬式の話」という学説は見つからなかった ・高天原は、新井白石(1716)は常陸国多珂郡、本居宣長は天、津田左右吉は「どこまでも天」。「高天原」という語は持統天皇の名から7世紀末にできたと推定されている。安本美典の朝倉と大和の地名の一致(25組前後)は、偶然かどうかを数で示した研究が見つからず、どちらとも言えない ・太陽が隠れて雄鶏の声で出てくる話はミャオ族・プーラン族にもあるが、日食の話ではない。日食神話の多くは怪物が太陽を呑む形で、インドシナでは呑む怪物が「太陽と月の弟」 ・日本書紀で最初の「招魂」(685年)は、干支から計算すると冬至の7日後。持統天皇の大嘗(691年)は冬至の23日前。冬至説も日食説も決め手がない ・2024年の皆既日食では、暗い4分の後に野鳥の半数以上の種が行動を変え、多くが夜明けのように鳴いた。ただし岩戸では鳥を先に鳴かせて光を呼んでいて、順番が逆 ・三角縁神獣鏡は日本で約560面(2011年)見つかっているが、中国からは1面も出ていない。魏の鏡か国産かは決着していない ・1〜700年に北海道を除く日本の陸で皆既日食が見えたのは、NASAの表の値で計算すると25回ほど。北部九州か奈良で皆既だったのは2回(454年・522年)。卑弥呼の時代に伊都国・吉野ヶ里・纒向で皆既になる日食は見つからなかった ・ほかの候補地(出雲・吉備・宇佐・阿波・都城・近江・山門・熊本)も247年は大きく欠けたまま日が沈んだが、標準のΔTではどこも皆既ではなかった ・日本書紀の日食記事11件のうち、都で見えたのは5件。推古36年(628)の「日、蝕え尽きたり」は標準の計算では飛鳥で約9割だが、国立天文台の研究者は当時のΔTが平均から外れていて皆既だったと主張しており、決着していない ・言えるのは「卑弥呼の死の頃、2年続けて日本の上で大きな日食があった」「神話と卑弥呼の最期は形が似ている」まで。同一人物とも、岩戸が日食の記憶だとも証明はできない ▼出典 ・『古事記』上巻、『日本書紀』巻一(第七段)・巻九・巻二十二、『古語拾遺』、『三国志』魏書(巻4・巻14・巻30)、『晋書』巻12 天文志、『梁書』巻54(原文は維基文庫) ・白鳥庫吉「倭女王卑彌呼考」(1910、青空文庫) ・内藤湖南「卑彌呼考」(青空文庫)/『日本書紀』巻五・巻六・巻九の該当条/『三國史記』百済本紀 ・春成秀爾ほか(2011)「古墳出現期の炭素14年代測定」国立歴史民俗博物館研究報告163/岩本崇(2011)社会文化論集7/馬淵久夫(2013・2018)考古学雑誌 ・Stephenson, Morrison & Hohenkerk (2016) Proc. R. Soc. A 472/谷川清隆・相馬充(2008)「七世紀の日本天文学」国立天文台報11 ・谷川清隆・相馬充(2010)「『天の磐戸』日食候補について」国立天文台報 13 ・相馬充・上田暁俊・谷川清隆・安本美典(2012)「247年3月24日の日食について」国立天文台報 14 ・Espenak, F. & Meeus, J. (2006) Five Millennium Canon of Solar Eclipses, NASA TP-2006-214141 ・Morrison & Stephenson (2004)/Stephenson, Morrison & Hohenkerk (2016)(ΔT) ・改訂新版 世界大百科事典「天の岩屋戸」(倉塚曄子) ・『隋書』巻81 俀国伝、『万葉集』巻1・巻3、『延喜式』巻2、『春秋左氏伝』昭公17年、『康熙字典』、『日本書紀』巻二・巻六・巻二十九・巻三十(原文は維基文庫・ja.wikisource) ・新井白石『古史通』(1716、『新井白石全集』3)/津田左右吉「神代史の研究法」(1919)・「建国の事情と万世一系の思想」(1946、青空文庫) ・安本美典『高天原の謎』(1974)・『卑弥呼と邪馬台国』(1983) ・國學院大學 古事記学センター「古事記ビューア」天の石屋(土佐秀里)/Studies on the Kojiki, Ch.1 ・改訂新版 世界大百科事典「天照大神」(倉塚曄子)・「日食」(吉田敦彦・白川静) ・Miller, R. A. (1967) The Japanese Language/Witzel, M. (2005) Vala and Iwato, EJVS 12-1 ・Aguilar et al. (2025) Science 390: 152–155/Nilsson et al. (2018) Biology Letters 14 ▼計算のデータと道具 ・天体暦:JPL DE441(NASA/JPL)、計算:Skyfield(MIT)・自作のコード(計算の道具はAIと一緒に組みました) ・地図:Natural Earth(パブリックドメイン) ▼画像 ・春斎年昌『岩戸神楽之起顕』1889、三代豊国、古事記・日本書紀の古写本、日食の写真(NASA):Wikimedia Commons(パブリックドメイン) ・魏志倭人伝の版本、『日本書紀神代巻』版本・西本願寺本『万葉集』(国立国会図書館)、『康熙字典』、『延喜式』巻第二(東京国立博物館)、新井白石・本居宣長・上田秋成・津田左右吉の肖像、狩野探幽「百人一首画帖」、歌川国貞1856、小林永濯、伊藤若冲「南天雄鶏図」、百苗図、ラーフ像(ロサンゼルス郡立美術館)、ドールマン1909:Wikimedia Commons ほか(パブリックドメイン) ・禁裡塚古墳の閉塞石:Saigen Jiro/Wikimedia Commons(CC0) ・地図:国土地理院 地理院タイル・地名検索

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