山陰本線旧客321レ〜326レ 京都ー園部 保津峡旧線(1985年2月)
1985(S60)年3月改正では、それまで辛うじて、全国規模の活躍を見せていた旧型客車列車の殆どが、姿を消してしまいました。山陰本線京都口も例外ではなく、普通客車列車自体が全廃されたり、12系化で捻出された他区の転属車等で、全ての客車列車が50系に統一されました。
本映像は、その改正を間近に控えた冬のある休日、園部まで往復乗車した321レ〜326レの記録です。普通列車ながら、途中駅の馬堀、並河、吉富は通過(先発の浜田行833レは上記3駅に加えて千代川も通過)。特に交換可能駅の馬堀は次改正で停車に変わり、この通過シーンも見納めになりました。
■映像の概略■
まだ夜が明けやらぬ、早朝の321レは現在、関空特急「はるか」が発着する31番線、当時の山陰1番ホームから回送列車同然で静かに発車します。向かいの山陰2番には、先ほど到着したばかりの夜行鈍行「山陰」の12系。誰も居ない車内は、機関車から蒸気を通気されて暖房管が膨張するカチン、カチン音が時折響きます。この日の牽引機は、撮影から40年を経過した現在もJR西日本、後藤総合車両所に配属されている、数少なくなったDD51 1179号機[福]です。
321レは上り通勤列車となる326レの送り込みで、浜田区の基本編成3+3両に、福知山区の付属編成2両を京都寄りに従えた8両編成。前日に米子発820レで到着後、その晩の329〜330レと当列車で、園部までを1往復づつアルバイトした後、折り返しの835レで米子へ戻るという運用でした。
到着した園部駅では、折り返し準備の為、一旦、下り方へ引き上げて推進運転による転線が行われます。編成が本屋側1番ホームに据え付けられた後、側線で滞泊していたDD51 1173号機[米]が変わって先頭に立ちます。方や321レを牽いて来た方の1179号機は、そのまま後部補機に。
平日では、321レの園部到着と入替りで発車する322レが設定されているのですが、同列車が運休となる休日に限り、前日に前運用の327レを牽いてきた機関車を基地へ戻す都合上、休日の※326レに限って、このような措置が取られていました。
休日は運用がない322レの客車の方は、休み明けまでの※2晩、園部駅構内に留め置かれることになりますが、このような使われ方も、製造や管理コストの安い客車には打って付けでした。また、機関車を送り込む運用もあって、こちらは322レ運転日前日の休日に限り、夕方の325レで実施されていました。(※当時の土曜は平日ダイヤ、また連休の場合を除く。)
326レとなった列車は、補機のサポートもあって軽々と加速しながら、一路、京都を目指します。
後部 1179号機のナンバーが、痛ましいペンキ書きにされているのは、当時、大井川鉄道トラストトレインのC12 164号機ナンバープレート盗難(保存団体が復旧の募金を募っていた)をはじめ、数々の列車妨害も企てて、後日、捕まった犯人の仕業によるものでした。
旅一郎さんchで、12系化後の321レの様子が記録公開されています。
• 国鉄民営化直後 昭和62年4月 山陰本線 321列車 京都発園部行き
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