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山陰本線旧客 京都発米子行835レ(1985年3月)

tera-pro.com94,478回視聴投稿日: 2025/10/11
前回、取り上げた園部発京都行き326レの折り返し列車で、長距離鈍行835レ(京都9:08発ー米子19:08着)に亀岡まで乗車時の記録です。古くは昭和40年前半頃まで1等車を連結、途中から夜行運転で山陰本線全線を走破する※門司行811列車が前身でした。以後、837列車を名乗って行き先が※浜田(1972年3月まで)、※出雲市(1982年6月まで)の順に運転区間は短くなりましたが、晩年も終着の米子で列車番号が変わるだけで、運用上は837レ時代と同じく出雲市まで直通する形態を維持していました。 撮影は京都口から旧型客車が消えた1985年3月改正を前にした休日。途中から車内がやや込んで来たので、主に荷物車次位のデッキからの映像ですが、当時は行楽シーズンともなれば、保津峡や、るり渓へ、ハイキングに向かう京都市民の定番列車として賑わったものです。 ※811レ京都9:38発ー門司5:11着(1964年9月)、837レ京都9:03発ー浜田0:20着(1971年7月)、837レ京都9:07発ー出雲市21:54着(1979年12月) ■映像の概略■ 00:00 835レは前列車326レで山陰2番線に到着後、機関車が切り離されて折り返し準備が行われます。 01:29 326レの牽引機とは別のDD51が側線のオユ14、マニ50を咥えて編成前部に連結。かつては、京都を発着する中長距離の普通列車の多くに、編成されていた郵便荷物車は、前改正(1984年2月)で大幅に削減されて、既に835レと838レの他、気動車列車1往復(キニ28)を残すのみになっていました。838レは夜半前の運転なので、昔ながらの郵便荷物車を連結した客車列車を日中に見られるのは、この835レが唯一でした。 08:54 二条駅ホームでは、荷物車から下ろされた小荷物を係員が台車で運ぶシーンを撮っていました。宅配便が台頭する以前の荷物は、国鉄の小荷物と郵便小包の独断場で、全国の取扱駅で見られた姿です。駅構内の敷地も広く貨物の発着も残っていた時代でした。 11:26 今は嵯峨嵐山の最寄り駅として観光客で賑わう旧嵯峨駅では、上りホームに交換のキハ58系急行「丹後4号」が運転停車。835レはキハ181系特急あさしお3号に道を譲った後、景勝地で知られる保津峡へと足を進めます。 18:10 元々は信号場だった保津峡駅ホームは6両分の長さしかなく、前部の客車数両はかからずに停車します。ここでは、嵯峨に続いて「丹後6号」と交換。 23:25 進行方向右手の車窓に移った保津川を眺める旧線区間の中程では、国鉄の財政難で凍結されていた新線工事が再開。当時の山陰線では亀岡一帯のベッドタウン化が進んで、輸送力は限界に達し、新線による複線化実現は地域での喫緊の課題でした。新線が上空で交差する工事現場付近では列車が徐行し、線路際には危急を知らせるための信号炎管が、仮設されていた様子が見て取れます。(新線へは4年後の1989年3月に完成切替) 24:58 作品最後の亀岡駅発車シーンでは、客車4両目に現在、京都鉄道博物館で保存されているオハ46 13の姿も確認できます。 ■山陰線の客車運用について■ 編成に充当される客車は浜田区の3両編成(米9運用)が基本で、1日目は浜田を532レで米子へ向けて出区後、2日目=820レ前〜329レ後〜330レ前、3日目=321レ後〜326レ前〜835レ後、4日目=820レ後〜329レ前〜330レ後、5日目=321レ前〜326レ後〜835レ前〜535レ、6日目の出雲市発521レにして、ようやく帰区という順序で、今のJRでは見られなくなった広域運用も、山陰線を走る客車列車の特徴でした。 また、京都側では対列車となる米子発820レに豊岡から、福知山車2両(福付14運用)の付属編成を増結。8両編成で運行されたあと、翌日の835レで福知山到着時に切り離されていました。東西に長い山陰線では上記列車に限らず、鳥取や倉吉(倉吉線列車の送り込み)、米子等の拠点駅で増解結が実施され、輸送需要に応じて柔軟な車両運用が組まれていたことも特筆されます。

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