関ヶ原で負けた西軍の大名・武将 約170人は、その後どうなったのか|毛利も上杉も領地は4分の1に…【勢力図 1600〜1603】
「毛利氏は改易し、領地は全て没収する」。1600年10月2日、関ヶ原で負けた西軍の総大将・毛利輝元の一門に、徳川家康の言葉が届きます。山陽と山陰の8か国、120万5000石。ところが8日後、残ったのは周防と長門の2つの国でした。
関ヶ原の戦いで西軍についた大名と武将は、およそ170人。京で斬られた大将、島へ流された大名、浪人になって大坂の陣へ向かった人たち。4分の1の国で生きのびた毛利と上杉、行き先の書かれていない命令で北へ移った佐竹。1600年の関ヶ原から、家康が将軍になった1603年まで、西軍の家が1家ずつ塗り替わっていく様子を立体の地図でたどり、屏風・肖像・国絵図・今の写真で見ていきます。最後の章では、冒頭の問い「関ヶ原のあと、西軍の大名でいちばん多かったのは、どれか」の答え合わせをします。
■目次
0:00 はじめに
0:32 今日の問題と、地図の見方
1:14 第1章 関ヶ原の朝の地図
5:10 第2章 斬られた者、自ら命を絶った者
8:54 第3章 総大将の起請文
12:33 第4章 4分の1の国
16:27 第5章 空いた西国に入った家
19:57 第6章 会津120万石の上杉
23:41 第7章 行き先の書かれていない国替え
27:56 第8章 1603年、戻ってきた大名
31:29 第9章 答え合わせ
34:50 締め 1600年から1603年へ、西軍の大名の行き先
■この動画の見方
・地図の色は、その家の領地です。灰色は取り上げられた分、矢印は移った先、年の札は処分が決まった日です。
・資料で数字や出来事が食い違う所は、「諸説あります」の札を出して、両方をお話しします。
・肖像の伝わらない人物と、本物の絵が無い場面は、想像図(生成AIで作成)です。画面にも札をつけています。
あなたの地元の殿様は、1600年のあと、どこから来た家でしたか。よければコメントで教えてください。次に解説してほしい家も、お待ちしています。
日本史マップ【極】は、本物の絵巻・肖像・史料と、色が塗り変わる立体の地図で、日本の家と戦のゆくえをたどるチャンネルです。毎日17時に新しい回を公開しています。
■出典
・資料 日本大百科全書・世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典・山川 日本史小辞典ほかの辞典、Wikipedia 日本語版
・地図 国土地理院の地理院タイル・CODH『歴史的行政区域データセットβ版』(CC BY 4.0)を加工
・家紋 Wikimedia Commons の作図(CC BY-SA 3.0・CC0・パブリックドメイン)作者: 百楽兎、Hyakurakuto、Mukai、Alex Tora、Gameposo(vectorised by Marnanel)
・写真・絵のクレジットは動画内に表示しています
#関ヶ原の戦い #西軍 #日本史
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