日本の半分を握った平家は、なぜわずか5年で消えたのか|清盛・頼朝・義経と壇ノ浦【勢力図 1179〜1185】
清盛の娘の子は数え3歳で天皇になり、跡継ぎの宗盛は壇ノ浦の海から引き上げられ、能登へ流された時忠の子孫を名乗る家は今も続いています。1179年の政変のあと、日本66か国のうちのべ31の国を握った平家の一門は、なぜ5年あまりで壇ノ浦に消えたのか。
立体の勢力図に国ごとの色を塗りながら、天子摂関御影の清盛の肖像、平治物語絵巻、安徳天皇縁起絵図、一の谷・屋島の合戦図屏風など、本物の絵と史料で1年ずつたどります。最後の章では、およそ400年後に平の姓を名乗った戦国大名は誰か、答え合わせをします。
■本物の史料で確かめたこと
・「平家にあらずんば人にあらず」は本文にはありません。元の文は「此一門にあらざらむ人は、みな人非人なるべし」。言ったのは清盛ではなく、妻・時子の弟の平時忠です(『平家物語』巻一)。
・平家物語は平家の国を「卅余箇国」と書きます。当時の記録と照らした研究では、のべ31国。最後まで平家とともに続いたとみられるのは17国でした。
・富士川の「水鳥の羽音」は『吾妻鏡』『平家物語』の話。九条兼実の日記『玉葉』には羽音は無く、戦う前に平家の数百騎が源氏方へ逃げたと書かれています。
・一ノ谷の「逆落とし」は、『玉葉』には書かれていません。
■目次
0:00 はじめに
0:49 「平家にあらずんば人にあらず」は本文に無い
3:05 第1章 国の半分を握った一族|平清盛と治承3年の政変
6:33 第2章 天皇も都も手に入れた年|安徳天皇と福原
9:20 第3章 東の国は1年で消えた|源頼朝の挙兵と富士川
13:16 第4章 柱が倒れ米が消えた|清盛の死と養和の飢饉
16:42 第5章 北陸の大軍はなぜ崩れたか|倶利伽羅峠と都落ち
19:46 第6章 西の海で息を吹き返す|屋島と水島
22:13 第7章 一ノ谷で失ったもの|源義経と生田の森
25:03 第8章 船を持たない源氏|範頼の苦戦と屋島
27:23 第9章 西の海の一点まで|壇ノ浦
30:16 第10章 消えた一族のそのあと|落人と平家の名
35:34 締め 平家が5年で消えた5つの理由
■この動画の見方
・地図の濃い朱=記録で確かめられる平家の国、薄い朱=研究で平家の国と見られている国です。
・肖像の伝わらない人物と、本物の絵が無い場面は、想像図(生成AIで作成)です。画面にも札をつけています。
・年齢は数え年、地図の海岸線は今のものです。
あなたの地元にも、平家の落人や源平の戦いの言い伝えはありますか。よければコメントで教えてください。次に解説してほしい家や戦も、お待ちしています。
日本史マップ【極】は、本物の絵巻・肖像・史料と、色が塗り変わる立体の地図で、日本の家と戦のゆくえをたどるチャンネルです。隔日の17時に新しい回を公開しています。
■出典
・研究: 石丸熙「院政期知行国制についての一考察」(1971年)/史料: 『平家物語』『玉葉』『吾妻鏡』『方丈記』『源平盛衰記』
・絵と肖像(保護期間の満了した作品): 皇居三の丸尚蔵館・神護寺・赤間神宮・厳島神社・東京国立博物館(ColBase・一部を加工)・国立国会図書館・国立公文書館・ボストン美術館・ミネアポリス美術館・大英博物館 ほか/以仁王像(模写)東京国立博物館 CC BY 4.0
・写真(Wikimedia Commons・一部を加工): 関門海峡 そらみみ CC BY-SA 4.0/富士川 m-louis .® CC BY-SA 2.0/雪見御所旧跡 Nnn CC BY-SA 3.0/厳島神社 Jakub Hałun CC BY 4.0/須磨の浜 jim212jim CC BY 2.0
・地図: 国土地理院の地理院タイルを加工/国の境: 歴史的行政区域データセットβ版(CODH・CC BY 4.0)を加工
・音: OpenTracks・効果音ラボ
#平家 #源平合戦 #日本史
コメント 読み込み中…