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古代日本の歴史が全てわかるまとめ【縄文のムラから平城京まで】【卑弥呼・聖徳太子・壬申の乱を一本で】

万象通史37,938回視聴投稿日: 2026/10/19
海で負けた国が、なぜその四十七年後、勝った側の都をまねた都を建てたのか。 六六三年、白村江で、日本の水軍は唐の水軍に敗れました。七一〇年四月十三日、都は平城へ遷ります。 佐賀平野、およそ二キロ半の濠に囲まれた弥生の村から始めて、卑弥呼の使い、仏の伝来、雨の日の宮殿の暗殺、白村江、壬申の乱を経て、平城遷都の日まで。肖像のほとんど無い時代を、土の中から出たものと、海の向こうの国が書き残した文字と、その場所の今でたどります。 ■ この動画について ・縄文と弥生の始まりの年代は、辞典・教科書・研究機関で数百年から数千年違います。この動画は一つの数字で言い切らず、縄文の始まりは「長いあいだ約一万二千年前とされてきたが、青森の大平山元遺跡の土器は一万五千年以上前と測られている」、弥生の始まりは「教科書の本文の通説が紀元前三百年ごろ、国立歴史民俗博物館の炭素十四の年代測定では紀元前十世紀の後半」のように、出典ごとに並べています。 ・年は西暦です。七世紀以降の月日は、国立天文台の暦日データベースで和暦からユリウス暦に換算し、画面の多くの場面ラベルに和暦を添えています(例:平城遷都=七一〇年四月十三日=和銅三年三月十日)。換算のない月は「旧暦の八月」のように言っています。天智天皇の死は六七二年一月七日(和暦では天智十年十二月三日=六七一年)です。三世紀以前の年は辞典の値です。 ・年齢は言っていません(数え年の表記が資料で揺れるためです)。 ・邪馬台国の場所は決めていません。北九州説と畿内説が江戸時代から争い、定説がないためです。纒向遺跡は有力な候補地の一つで、調査は全体の約二パーセント(二〇一八年五月時点)です。卑弥呼の最初の遣使は辞典どおり二三九年としましたが、『魏志』倭人伝の刊本は「景初二年」(二三八年)と書いています。壹与(いよ)は台与(とよ)とも書かれます。 ・五世紀の鉄剣の銘文の時代の王は「大王」と言い、欽明・推古などの天皇名と、それに続く「天皇」の呼び方は辞典どおりに使っています。「天皇」の号そのものは、飛鳥池遺跡の木簡から遅くとも天武の時代には使われていたことが分かり、推古の時代からとする説もあります。 ・聖徳太子は、本名を厩戸皇子と考えられている人で、この動画は教科書と同じく「聖徳太子」と呼びます。五九三年に皇太子・摂政となったとするのは『日本書紀』の記事で、皇太子とすることには疑問があり、馬子と共同で政治をとったとする考えもあります。非実在説は、参照した辞典が取り上げていないため扱っていません。 ・『日本書紀』は、神話から推古より前までの記事を「〜と伝える」、推古から天智の時代を「『日本書紀』によれば」、天武・持統の時代をほぼ信頼できる記録として扱っています(『山川 日本史小辞典』の評価によります)。乙巳の変の場面(雨、表文、鞍作の屍)は『日本書紀』の叙述として朗読し、史実と断定していません。『日本書紀』は勝った側の子孫がまとめた本で、改新の詔の文には編者の手が加わっているとされます。 ・中国の歴史書は「書いた側の記録」として言っています。白村江に向けて送った兵と焼かれた船の数は、日本の記録(『日本書紀』)が送ったと書く二万七千人、唐の記録(『旧唐書』)が焼いたと書く船四百艘を、どちらの記録かを添えて並べています。六三二年の唐の使者が「礼を争った」と書くのは唐の歴史書(『旧唐書』『新唐書』)で、『日本書紀』にその話はありません。 ・平城京が長安を「まねた」というのは辞典の言い方の範囲です。骨組みは藤原京を大きくした形で、七〇二年の遣唐使が見た長安の宮殿が平城宮に入ったという研究があることも添えました。長安城と平城京の図解は概略です。 ・「なぜ勝った側の都をまねた都を建てたのか」の答えは一つに決まっていません。終章の答えは、辞典の記述をこの動画が束ねた見方です。 ・大山古墳(宮内庁が仁徳天皇陵とする古墳)の工期と人数は、堺市『仁徳天皇陵古墳百科』が紹介する大林組プロジェクトチームの計算です。堺市は、葬られている人がだれか「本当はよくわかっていません」と書いています。 ・仏教の伝来は五五二年とも五三八年とも伝わり、どちらも決定的な根拠を欠きます。和同開珎の読みは「かいちん」が有力で、「かいほう」とする辞典もあります。 ・朗読した史料(『後漢書』『魏志』倭人伝・『宋書』『隋書』『旧唐書』『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』)は、原文から書き下し、一部を略したり、順を入れ替えたりしています。「海水皆赤し」は唐の側の記録(『旧唐書』劉仁軌伝)の言葉です。 ・史跡の写真は、その場所の今の姿で、画面に「現在」と出しています。吉野ヶ里遺跡の濠・物見櫓・柵、三内丸山遺跡の建物、菜畑遺跡の水田は復元、平城宮跡の朱雀門と第一次大極殿は復原で、画面にそう出しています。唐古・鍵遺跡の楼閣と飛鳥宮跡の井戸の「復元」、飛鳥寺の本堂の「江戸時代後期の再建」も画面のクレジットに出しています。法隆寺の金堂と五重塔は、『日本書紀』が記す六七〇年の火災のあと、七世紀末から八世紀初めに再建されたと考えられている建物です。白村江(錦江の河口)と末盧国(唐津)は「候補地」、熟田津(松山)は「道後付近の船着き場とされる」と画面に出しています。 ・金印「漢委奴国王」の画像は、東京国立博物館の模造(ColBase)で、画面に「模造」と出しています。実物は福岡市博物館の所蔵です。 ・この時代に肖像はほとんど残っていません。聖徳太子像(唐本御影)は「伝」「後世の作」と出し、モースの肖像は一九一三年のベンソン画です。則天武后・煬帝は画を使わず名札だけにしています。 ・サムネイルは生成画像です。人物は、江戸時代などに描かれた想像の肖像画と伝聖徳太子像をもとにした想像の姿で、卑弥呼は元になる絵が無いため後ろ姿にしています。土偶・金印・埴輪も出土品を模した絵です。ナレーションは音声合成を使っています。 ・誤りに気づかれた方は、コメントで教えていただけると助かります。確認のうえ、概要欄と固定コメントで訂正します。 ■ 主な参考資料 ・『三国志』魏書 東夷伝 倭人条・『後漢書』東夷列伝・『宋書』夷蛮伝・『隋書』東夷伝・『旧唐書』(劉仁軌伝・倭国日本伝)・『新唐書』 ・『日本書紀』・『続日本紀』・『古事記』序・『万葉集』(巻一) ・『山川 日本史小辞典』・『山川 世界史小辞典』・『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)・『日本大百科全書』(小学館)・『ブリタニカ国際大百科事典』・『マイペディア』・『旺文社日本史事典』・『デジタル大辞泉』・『精選版 日本国語大辞典』・『国指定史跡ガイド』・『日本歴史地名大系』・共同通信ニュース用語解説 ・外ヶ浜町「史跡 大平山元遺跡」・北海道・北東北の縄文遺跡群「三内丸山遺跡」・吉野ヶ里歴史公園『吉野ヶ里遺跡 見学の手引き』・堺市博物館「仁徳天皇陵古墳百科」・埼玉県立さきたま史跡の博物館・奈良文化財研究所「なぶんけんブログ」「木簡庫」・国営飛鳥歴史公園事務所「平城京とは?」・帝国書院 FAQ「縄文時代と弥生時代の区分」・国立天文台暦計算室「日本の暦日データベース」 ・舘野和己「平城京の形態と機能」・大林組プロジェクトチーム「王陵」(『季刊大林』第20号、1985年) ▼モンゴル帝国の回(白村江のあと築いた水城まで、六百十年後に別の海から来た軍に押されて退いた兵。文永の役)    • モンゴル帝国の歴史が全てわかるまとめ【草原の統一から大都を捨てる夜まで162年】【チ...   ▼戦国時代の回(不破の関と同じ谷で、二度めに天下が分かれた関ヶ原)    • 戦国時代の歴史が全てわかるまとめ【応仁の乱から大坂の陣まで】【下剋上の始まりから終わ...   ▼明治時代の回(大森貝塚を掘ったモースが、西郷星の絵草紙屋を書き留めた時代)    • 明治時代の歴史が全てわかるまとめ【明治維新から明治天皇の大喪まで44年】【西郷と大久...   ▼再生リスト「日本の通史(時代順)」    • 日本の通史(時代順)|万象通史   ■ 画像・映像 出典:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)https://colbase.nich.go.jp/ (東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館・九州国立博物館・奈良文化財研究所) 出典:奈良文化財研究所「木簡庫」(飛鳥池遺跡出土「天皇」木簡) 国立国会図書館デジタルコレクション パブリックドメイン/CC0:宮内庁(御物 聖徳太子像)、ピーボディ・エセックス博物館(モース肖像)、好太王碑 水谷拓本(図版:東京国立博物館『好太王碑』1996)、Wikimedia Commons の各撮影者(Saigen Jiro、Sakai Yayoi、先従隗始、Indiana jo、CT-May、Olegushka、ONO Masanobu、Evelyn-rose ほか) ほか(Wikimedia Commons 経由を含む) 地図:Natural Earth/国土数値情報(行政区域データ・国土交通省)を加工して作成(位置・経路・境界はおおよそ) 【CC BY・CC BY-SA(Wikimedia Commons)作者(ライセンス)とファイル番号。各ファイルは commons.wikimedia.org/?curid=番号】 ・小池 隆(CC BY 3.0)34061663、34061662 ・Zairon(CC BY 4.0)170877591 ・663highland(CC BY 2.5)36246676、36246703、11798277、10767006、19602215 ・Asuka Historical National Government Park(CC BY-SA 3.0)26592455 ・Pekachu(CC BY-SA 4.0)41900707、41900708 ・Muyo(CC BY-SA 3.0)15136810 ・Reggaeman(CC BY-SA 3.0)1272077 ・ascesis(CC BY-SA 3.0)2639432 ・そらみみ(CC BY-SA 4.0)52004210、77069992 ・EditQ(CC BY-SA 4.0)139569772 ・そらみみ(CC BY-SA 3.0)31762732、31787151、31773480 ・alonfloc(CC BY 3.0)53964723 ・Heartoftheworld(CC BY-SA 3.0)18737040 ・Nankou Oronain(CC BY-SA 3.0)54641547 ・TageSP(CC BY-SA 4.0)75840105 ・Motokoka(CC BY-SA 4.0)80251168、80275184 ・Naokijp(CC BY 4.0)140075868 ・Tsuyoshi chiba(CC BY-SA 4.0)122470576 高評価・コメントをいただけると励みになります。 いちばん「つながった」と感じた場面と、次にまとめてほしい歴史を、コメントで教えてください。百済を救うために海を渡るか、渡らないか。あなたが飛鳥の都にいたら、どちらを選んだでしょうか。 ▼使用素材のクレジット そらみみ / CC BY-SA 4.0 / https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... #古代日本 #日本史 #卑弥呼 #聖徳太子 #壬申の乱

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