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明智光秀の勢力図|牢人から、京の東の坂本と西の丹波を任された光秀は、なぜ本能寺からわずか11日で、そのすべてを失ったのか【1566〜1582】

絵で見る歴史ラボ6,708回視聴投稿日: 2026/10/27
明智光秀の勢力図。出自もはっきりしない牢人から、京の東の坂本と西の丹波を任された光秀は、なぜ本能寺の変からわずか11日で、そのすべてを失ったのか。 丹波の郡を一つずつ塗った4年あまり、6月1日の織田の大軍の配置、山崎の戦いまでを、戦国時代の日本史の地図で郡ごとに追います。 ■ この動画でわかること ・光秀はどこから来た人なのか。当時の人が光秀をどう書いたかと、江戸時代の系図や軍記が書き足した話 ・足利義昭と織田信長、二人の主のもとで京の仕事をした光秀が、比叡山のあとで坂本城を持つまで ・丹波の郡は、なぜばらばらの年に光秀の色になったのか。黒井城・八上城と、母の人質の話の出どころ ・本能寺の変の前の日、6月1日。織田の大軍はどこにいたのか。光秀が信長を討てたわけを地図で ・光秀はなぜ信長を討ったのか。当時の京の日記、宣教師、秀吉の側の本は、それぞれどう書いたか ・細川藤孝と筒井順慶は、本能寺のあとの日々にどう動いたか。本能寺から11日後の山崎の戦いと、「三日天下」の言葉が出てくる書物 ■ 目次 00:00 序章 京の両側の朱|明智光秀・織田信長・本能寺の変 02:29 第1章 どこから来た人か|美濃・称念寺・足利義昭・細川藤孝 08:01 第2章 二人の主|足利義昭・織田信長・比叡山・坂本城 16:27 第3章 丹波の4年あまり|惟任日向守・黒井城・八上城・波多野秀治 24:47 第4章 京の両側|丹波・筒井順慶・馬揃え・四国・愛宕山 32:54 第5章 その日|6月1日・亀山城・本能寺の変・二条の御所 43:27 第6章 11日|安土・細川幽斎・筒井順慶・洞ヶ峠 50:25 第7章 山崎と、そのあとの物語|山崎の戦い・坂本城・清須会議・三日天下 ■ 地図の見方 朱=明智光秀(濃い色=直接治める土地 薄い色=従う領主の土地 斜線=取り合い中)。◆=光秀のいる所 織田家とほかの家はその家の色(細川・筒井・波多野・赤井・荒木・毛利・本願寺・羽柴ほか)。どの大名にも付かない土地=薄い墨(国衆) 右上の数字=石高(米のとれ高)の目安。どの年も、のちの帳面の郡ごとの数字で比べています 光秀はなぜ信長を討ったのか。5章で並べた、京の日記、話した神主、天下、恨み、光秀自身の手紙。あなたはどの書き方にいちばん納得がいきますか? 解説してほしい武将や合戦も、コメントで教えてください。 ▶ チャンネル登録はこちら    / @絵で見る歴史ラボ   ■ 地図と数字について ・年は和暦の年の西暦、月日は和暦。季節は旧暦、年齢は数え ・右上の石高は1598年の検地高を、郷帳の郡ごとの石高の比で郡に按分した目安(斜線の郡も含む)。当時の光秀の石高を示す同時代の記録はない。郡は1920年の郡境の近似 ・1582年6月の明智方の斜線は、日記に近江や京を押さえたとある日に、郡ごとにまとめて塗った。丹後(細川)は光秀の手紙の9日、大和(筒井)は兵を戻した10日からその家の色 ・山崎の戦いの両軍の兵の数は、記録によって大きく違うため出していない ・光秀の生まれた年は分かっていない(亡くなった年を、江戸時代の本は55歳・57歳・67歳などと書く)。絵の年齢はそのあいだにしている ・光秀の兜の形は、明智継承会が管理する「伝 光秀公御兜」を参考にした想像図。光秀が使った兜と確かめられたものではなく、年代の鑑定も公表されていない ・光秀の家紋は、室町時代の紋帳に土岐一族の紋として見える桔梗(光秀本人が使った当時の品は確かめられていない)。細川忠興の九曜は、信長から授かったと伝わる紋(時期は分からない) ・名札は当時の名乗り(1575年からの光秀に「惟任日向守」を添え、1568年4月までの義昭は「足利義秋」、1586年までの吉田兼見は「兼和」)。語りでは義昭・兼見で通す ・人物と情景の絵は生成AIの想像図(後の時代の肖像は手本にしていない)、語りは合成音声 ■ 出典 地図・地形: 国土地理院(地理院タイル・陰影起伏図) 郡境: 『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」をもとにNIIが加工) 史料の札: 『永禄六年諸役人附』(群書類従)、明智光秀書状、『兼見卿記』・『蓮成院記録』(1582年6月の分は『大日本史料』第11編之1・1927年)、『信長公記』(佐久間信盛あての折檻状)、『多聞院日記』、細川父子あて明智光秀覚書(『古文書時代鑑』下・1925年)、羽柴秀吉披露状写(『大日本古文書 浅野家文書』1906年) 語りで引いた記録: 『言経卿記』、『公卿補任』、本城惣右衛門覚書、『乙夜之書物』、明智光秀書状(6月2日 西尾光教あて=『武家事紀』の写し/6月12日 土橋平尉あて=美濃加茂市民ミュージアム蔵)、羽柴秀吉書状(6月5日 中川清秀あて・梅林寺文書)、『細川忠興軍功記』、『増補筒井家記』、『武功雑記』、『明智系図』、聖衆来迎寺の涅槃図の銘(2020年の報道) 語りの見方の出どころ: 『惟任退治記』、太田牛一の記録、フロイスの日本年報(村上直次郎訳)、甫庵『太閤記』、『川角太閤記』、『本朝通鑑』、『総見記』、『明智軍記』、『三日太平記』、頼山陽『日本外史』、須藤光暉『大僧正天海』(1916年)、高柳光寿氏・谷口研語氏・生駒孝臣氏・柴裕之氏・村井祐樹氏・早島大祐氏・福島克彦氏・野口隆氏・白峰旬氏・馬部隆弘氏・谷口克広氏・呉座勇一氏・桐野作人氏・小和田哲男氏の研究、京都府神社庁(福知山の御霊神社) 札の現代語訳はこの動画によるものです BGM: Will you still cry?(まんぼう二等兵・OpenTracks) 効果音: 効果音ラボ #明智光秀 #戦国時代 #日本史

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